新年早々の仲間との新年会で

わたしたちは祈りの歌を歌いました。

 

日本の大地が静まりますように

大難が小難に分散されますように。

 

 

今わたしたちに必要なのは

 

‘’祈りのちから‘’

 

 

昨年のGW、飯綱高原の水輪でお会いした時の白鳥監督は

とても緊迫したご様子が気になりましたが

 

ご一緒に庵まで歩く道すがら、

私は監督に個人的質問をしていました。

 

「白鳥監督の映画『祈り』が監督の作品の中で一番大好きであるにも関わらず、

私は自分が本気で『祈り』をすることができていない。

どうしてでしょう?」

 

「なにか『祈り』に対するブロックがありますね。」

 

確かそのような答えが監督の口からは返ってきました。

 

 

その言葉によって私が思い当たったのは、

かつて姉の統一教会脱会の為にプロテスタントの教会に通い

聖書の学びをし、その学びの中で

 

主の祈りを自分の小さな部屋で捧げたことによって

自分に起こった神秘現象があまりにも現実の意識では消化できない

 

ラジオのチューニングをどこか違うところにつながってしまった

情報の渦に巻き込まれてしまったことで

 

自分が自分だと思っている意識から

自分の手の届かないところに行ってしまうのではないかという

怖れと混乱の中で、教会と聖書から逃げ出した過去が

今でも鮮明に思い出される。

 

その当時から30年近くが経つ。

 

その時の自分に起こったこと。自分を知る、人間の意識を知る、精神の仕組みを知る

その探求の為に時間と経験を費やした。

 

 

今年元旦、

日本の大陸を石川県能登地方のマグニチュード7.6の震災で

多くのいのちの犠牲のもとに脅かされた始まりと共に

 

わたしたちの意識の夜明けが始まった。

 

 

 

映画『祈り』のなかでも紹介されている

リン・マクタガート女史の「祈りのパワー」についての

研究紹介は医療界でも有名な話しだが、

 

この『祈り』のパワーが今こそ

 

わたしたち一人一人の日常に

大きな集合意識に

地球全体、宇宙全体に

 

影響を及ぼすこととなる真実がここにある。

 

 

昨今、日本の大宗教団体の教祖たちが亡くなる中

今や宗派を超えた宗教を超えた

 

『祈り』が

 

わたしたち日本人の魂の中に息づいている

この手を合わせ、被災や不慮の事故にあった人々の災難に心を痛ませ

 

祈り、助けの手を捧げる姿に

 

わたしたちは自分たちの内にある

神性を思い出さずにはいられません。

 

村上和雄先生がおっしゃってた

サムシンググレートを。

 

この地球で生きる私たち生命体が

いのちのつながりの中で生かされているのだと。

 

 

『祈り』でつながる

そのつながりを

 

これからの毎日を

さらに強く生きていくのだと思います。

 

 

もはやどんなに分離していると感じても

わたしたちは孤独でなんていられやしない

 

はじまりの瞬間がやって来ました。