明日はいよいよ春分の日。

 

これまで自分の人生から自我意識を扱って自己の統合を拡大してきたわけだけれど、

ここに来てどこを目指して歩いていたのかを改めて見直すポイントに到着。
 


占星術的にはドラゴンヘッドとドラゴンテールという個人の魂の始まりと終わりの自らの星に刻まれたカルマの終焉。
この世界に生まれ落ちた自らの誕生を祝福する。

龍は地を這い、水面下をうねる意識エネルギー。
後に鳳凰として天空を飛翔する昇華するエネルギー。

そこにわたしたちの魂意識は到着しているという。

飢えや、恐れ、不安や心配の思いの数々から
わたしたちが解放される時を迎えている。

 

外側に向けていた目線を内側の自分の本音に向けなおし

自我の根っこを掘る作業の中で見えてくる私という自我意識は

 

拡大してわたしたちという領域で拡がっているひとつの大きな現実を創り出す。

 

ここで重要なのは今まで既存意識や集合意識でこれが真実だと思っていた信念が

いまや通用しない、必要ないという時点で


さらに自分の中心に入っていくことが重要になる。

自己の根っことは

意識的に扱うところまでやって来た自己の意識の深層レベルの

実際の人生を映し出している土の中にあたる内面世界、
魂に刻み込まれた刻印は4つのタイプに分けられる。

 

BPM1

胎児が子宮に回帰し、一体化を果たしていると思われる体験領域である。

そこでは安全な子宮に包まれているという安心感が得られ、同時に「大洋的エクスタシー」と呼ばれる宇宙的一体感が訪れる。しかし、母親が飲んだ有毒物質に飲み込まれる体験などネガティブな内容も見られる。また被験者は世界中の様々な楽園や天国と言った元型的イメージや豊かな自然のイメージと出会う。深いリラクゼーションが訪れる領域であり、稀に宇宙との神秘的一体感を得られるケースも見られる。

BPM2

BPM1を超えた被験者は次に、出口のない狭い場所に閉じ込められた閉塞感を覚える。巨大な螺旋や渦巻、宇宙の暗黒などに飲み込まれ監禁状態に陥る体験が訪れる。圧倒的な苦痛を伴う、地獄とも呼べる体験である。

強制収容所に収容されるユダヤ人や、精神病院に閉じ込められ拷問的な行為を受ける患者の体験、地獄の罪人やプロメテウスといった「永遠の罪」を象徴する元型的な体験や、巨大な竜・クジラなどに飲み込まれる体験もここで見られる。この領域にいる間、被験者は深い孤独にさいなまれ、人生は無意味であるという絶望感に包まれる。

BPM3

BPM2を超えると、生と死の間を引き裂かれるような葛藤が被験者に訪れる。サド・マゾ的体験、強烈な性的興奮、悪魔との遭遇、糞便嗜好の体験、元型的な「火」との遭遇、英雄の冒険への参加体験など、BPMの中でも最も広範囲な体験が得られる領域である。

特にティターン的闘争と呼ばれる、自然の荒々しいエネルギーの爆発に巻き込まれる体験が多い。被験者は大きな苦悩とエクスタシーの間をさまよい、その感情が拡大され、魔物と天使の神話的闘争に参加することもある。

BPM4

BPM3を超えると、被験者に実際に死と再生の体験が訪れる。まず被験者は恐ろしいまでの破滅感に襲われ、身体的破壊や絶対的呪詛など様々な形で「自我の死」を体験する。

カーリー、シヴァなど様々な破壊神に殺害され、宇宙の奈落に落下する体験などが見られる。しかし、それを超えると即座に体験は超自然的な黄金の光のビジョンなどに変化し、被験者はそこで生まれ変わりや再生を経験する。キリストの死やオシリス神話との一体化、パールヴァティ、聖母マリアとの融合化など元型的な体験も多く訪れる。この領域や後のトランスパーソナル領域の存在により、セッションが終了した後も被験者は存在に対する全肯定的感情を保ち続けることができる。

 

さらにその先に自我を超えたトランスパーソナル領域に入っていく。

 

面白いことに自らの誕生に刻まれる星の刻印と
母体を通してこの世に生まれ落ちる出産時に刻まれる
胎児の分娩前・後に刻まれるエネルギーの刻印は同じものであると想像される。

近年、自然分娩がいかに大切かというあらゆる側面で語られる中、

わたしたちがこの世に生まれ落ちる瞬間の母なる母体から切り離される瞬間が

まさしく宇宙から自らの魂が切り離される瞬間と同じなのだ。

 

チェコ出身の精神科医スタニスラフ・グロフがLSDを使って研究した自我の深層意識に見つけたものは

わたしたちの魂の元型ともいえる自我意識を地図としてあらわしている。

 

アンダーグランドを這い回るかのような仏教の修羅の闇の地獄の世界を通らずに

わたしたちは自我を超え天国に至ることができないのだ。

 

 

我々が心の闇を具現化するのはなぜかの問い。

闇なしには光がないと言うが、本来は地中にも地上にもただエネルギーがあるだけ。

 

鬱がひどかった時、垣間見た世界は現実界でも夢の中でも

それはまるで仏教で言う修羅の世界を垣間見せられた。

地獄の世界というか。

人生の生きる中での自我意識による飢えや劣等感、自己否定の連続の中で

今、自らの意識が向かおうとしているのは

 

それらの設定を終了し、次なる未知の世界に漕ぎ出そうという段階に

わたしたちの意識は入っているという。

言葉足らずではあるけれど、

わたしたちはすでに進化した人類で

あらゆる出来事を俯瞰しながら全体像を眺める視点を持ち始めている。

 

 

恐れ、不安、孤独…

 

それらの痛みの感情がわたしたちのハートの封印を開く瞬間を

闇が光に変わる瞬間を
闇と光がひとつになる瞬間を
 

魂は待ち望んでいるのだと思う。

この地球という大地から切り離された瞬間から
はじまった魂の旅は
 

今や地球の痛みを
自然界全体の痛みを
他人の痛みを

自分の痛みとして
感じられるほどの感受性を
 

わたしたちは自分の人生の経験から取り戻しつつある。