気持ちの良い季節ですね。
すがすがしくて、スッキリと目覚められます。

hannaは18日から21日まで出かけておりました。
岡山は蒜山高原で行われた「静まりのセミナー」に参加したのです。

初めての蒜山。
めちゃめちゃ久しぶりの長時間ドライブ。
知り合いは誰も行かない一人での参加。
わくわくとドキドキで参加しました。

一言でいうと。
さいっこう!!!でした!!

このセミナーは他の場所での参加は今までも何度かありました。
信仰生活の中で、「静まる」ということは簡単な事ではありません。
環境も心も人はざわざわするものでしょ。
それを大自然の中で行い、身体も心も魂も静かになり、自分と神さまと
向き合うのです。
私は都心に住んでいることもあり、自分自身が集中力もないので、
思い切った時間と場所でその感覚を体験して、
自分のものにしたい、と願ってきました。
そして今年色んなことが与えられて、3泊4日という時間を静かに過ごすことができたのです。

禅の修行なんかもありますが、
キリスト教信仰の中でも、静まる、ということは、大切なこととして聖書にあります。
でもそれだけ難しいことでもあります。

このセミナーでは、名前は呼びません。
それぞれが呼んでほしいニックネームをつけます。
でも名札をぶら下げたりはしません。
何度でも聞けばよい、というスタンスです。

プログラムは、
自分の振り返り、体調・心調・霊調の問診、み言葉の黙想、
などなど、段階を追って進められていきます。
基本的には、ほぼすべての時間、沈黙で過ごします。
黙想するための準備、座り直し、というのもゆっくり時間をかけて行います。
とにかくひとつひとつの工程を時間をかけて。
これは、こうこうと説明してではなく、体験することで分かる時でしょうね。

hannaにとっては。
心の中で自分のものとして掴んだものを、更に楡はんで行きたいと思いますが、
体験した自然の風景など、いくつかシェアしますね。





キャンプ場はこぉ~んな見渡す限り山!の中にありました。
ノルウェーの宣教師が建てられたキャンプ場は
ノスタルジックな内装もたくさんでした。

初日に自然をからだ全部で感じた散歩は「塩釜の冷泉」
日本百名水にもなっている泉に行きました。
1分に1.8トンもの水が年中変わらずわき続けているそう。
ぼこぼこと湧き出る水を見て、湧き上がるってこういうことなんだな、と知りました。




泉の入口の小池にはこんな石がΣ(・□・;)
『いのちあれ』
神さまが語っておられるように感じました。







紅葉もイイ感じに進んでいましたよ。
パノラマ写真の右端にある「ベツレヘムロッジ」という
黙想のための施設ですべてのプログラムを過ごしました。

この時はみんなが一人の部屋で過ごします。
私の泊まった部屋は、初めて体験した
まったく音のない世界でした。
冬は寒さも厳しいところなので、二重窓なのですが
それが外の音をまったく遮断して、通りを車が通っても聞こえません。
聞こえるのは、自分の内側に流れる血液の音だけ。
そんな空間でした。

hannaは今まで、自分は神さまを悲しませているのではないか、と思って
過ごしていました。そういう部分が大きかったのです。
複数の人にもそう言われたりもしていました。
でも、座りなおして、朗読される聖書の言葉をじっと受け止め、
黙想している中で、ぼんやりと見えてきた光の向こうに、
優しいあたたかなまなざしを見つけました。
そして微笑んでいる顔が見えました。
「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」
そう言われている神さまが、今の情けない部分もたくさんなhannaを
百も承知で、微笑んで見て下さっていることを再確認しました。

奉仕の動機、というものも確認しました。
厳しい部分も学びました。自分の情けなさも認めざるを得ませんでした。

このプログラムは、この時体験して終わりではありません。
それぞれが置かれている場所に持ち帰って、静まりを体験し続けていく、
そのために何が自分には必要だろうか、ということも考え決心しました。
みんながお土産を持ち帰りました。

リセットする時間。たましいの温泉。
色んな表現をされていました。
このような特別な空間、良い導き手がいてできる静まり。
これをエクササイズして自分のものとしていくこと、
また私の場合、病気、という心を動かす大きな要因も持っている中で、
どのようにこのエクササイズをしていくか、というアドバイスも頂けました。
まだまだ発見していきたいことがたくさん。
時々は、主の山に登って追体験しつつ。
私を生きていく大きな活力であり、必要な時間。

また、きっとこの山に登りたいと思います。