ゆっくりと

テーマ:


だいたい月に一度自宅でクリスタルボウルと糸かけ曼陀羅のワークショップをしている。
糸かけ曼陀羅はおば、クリスタルボウルはわたしそして菜食ランチは母が担当している。
先月の終わりに今月分のワークショップが開催された。
わたしは前々回の10月からひとつの作品を作り始めた。
点描曼陀羅の絵を描くようになって
少しずつ仕上げる楽しさを実感している。

大学時代に友人がある時彼氏のこんな愚痴をこぼしたことがある。
名前は忘れてしまったがどこか有名な食器のティーセットか何かをひとつづつ集めていたのだが彼氏がある日全部をプレゼントしてくれ落胆したという。本当に悲しそうだったので嫌みではなく本当にショックだったのだと思う。
どう思う~?ひとつづつの集める楽しさが~
と同意を求められたが曖昧に返事をしたのを今でも覚えている。
その時のわたしには少しずつ仕上げるとか手に入れるとか完成するということは苦手だったので正直さっぱり気持ちがわからなかった。
何で欲しいものを我慢するのだろうと思っていた。

それから10年経ちそんなわたしでも
ゆっくり完成していく楽しさを感じ始めている。できるまでの時間が何とも言えない贅沢な時間だ。少しずつ仲良くなりながら止まっては進む。まるで植物が育つように作品と自分も育っていく。
そうやって時間をかけて産まれたものは、もの以上の価値が産まれて新しい思い出の塊となる。

そうやってゆっくりと人生を楽しみたい

新しい絵

テーマ:


新しい絵を描き始めた。
色々な家族の形を絵にしてみようと思っている。
人間だから家族でさえも理解できないことや家族だからこそ甘えてしまうことがあると思う。
この絵を見た人が初めて家族になった瞬間の喜びを思い出してくれたらとても嬉しく思う。

世界中がそういう人でいっぱいになればいつかはきっと戦争がなくなり動物を食べることもなくなると思う。

わたしは魚を食べるのでveganの人から言わせれば命を食べているという点ではかわりがない。ある人が行った実験によると野菜も痛みを感じることができるそうだ。
だとすれば植物も命を頂いていることになる。
ただお肉はどうしても自分でさばくことは出来ないと思うのだ。
お肉を食べなくても生きていけるのであればわざわざ誰かの命を取らなくてもと思ってしまう。
では、魚はどうなのか。と言われたら言葉に詰まってしまう。
ひとつ言えることは魚は釣ったあとにさばいて目を背けずに食べられる自信がある。
わたしにとって魚とお肉では一体何が違うのだろうか。

ある夏の日に家でゴキブリがでた。
当時はとても怖い存在だった。
だからといって命をとることは可愛そうで父に頼んだ。
心の中で自分でしないで人に頼んで間接的に命を奪ったらもっと卑怯だよなと思った。

ゴキブリが怖いという思いをクリーニングすることでその次の夏はあまり怖くなくなった。

そしたらあまり、会わなくなった。
それも不思議だ。
それでも何度かは遭遇したのだが
お願いしたら窓から出ていってくれた。
本当に自分から窓の方に向かってトボトボと行く姿には驚いた。
たまたまかと思ったのだが覚えいるだけでも同じ夏に2回もあったので偶然ではないのかもしれない。

これは魚を食べることと少し似ているのかもしれない。間接的にしか命を取る自信がないものは食べることを自分に許していないのかもしれない。

食べるものはわたしたちを作る
食べ物の思いも一緒に身体に入ってるくる気がする
食べ物自体の思いだけではなく
作り手の思い
そして食べる人の思い

お野菜を育てるとき
お料理をするとき
ご飯を食べるとき

感謝でいっぱいの食卓を迎えたい

何分おばさん

テーマ:
家の近くに心の中で何分おばさんと呼んでいるおばさんがいる。

小中学生の登校時間にその家の前を通ると挨拶と同時に分刻みで何分、何分と伝えているので通る度に嫌になってしまう。

そこのおうちはお花がとても綺麗で
お花もイキイキしていて
多分優しい人なのだと思うのだが
挨拶をしなければという空気感と通りすぎるまでききつづけることになる何分という言葉が朝の静かな時間を消す。

小学生はご近所の人にただ挨拶をするという感じでそれほど気にとめている人もいなさそうだ。自分が小学生のときにそこのおばさんのおうちの前を通ったとしたらどうだろうと想像してみた。その時のわたしだったらきっと大きな声で挨拶をして時間を聞いてあぁそうかで終わっただろうと思う。そして、次の瞬間にはその事すら忘れていたことだろう。

今通る度に苦痛に感じるのはなぜだろう。
分刻みに伝えられる時間の中を歩く子どもたちを真っ直ぐとみられないのはなぜだろう。

いつから時間イコールプレッシャーになったのだろうか。

出来るだけ太陽と共に生きたいと思う






有難いことに絵の方が忙しくなり
いつの間にか最後にブログを書いてから
随分と時間がたってしまった。

今日で秋の土用も終わりだ。
それでも朝のストレッチは続いている。
10月の始めごろより少し筋肉をつけたくなり筋トレも始めた。
毎年11月の終わりごろに喉鼻風邪をひく。
秋は肺、白
夏にあまりにも冷たいものをとりすぎると乾燥し秋になり夏の疲れがでるのだ。
暦上では明日から冬ではあるが11月の終わりと言えばちょうど冬に入るちょっと前な感じがする。

そう思い土用に入れば断食をしようと思っていたのだがなかなか踏み切れず、たまたま台風のお陰で2回もチャンスが与えられたのでこれは本当にするべきだと思い先々週の休日にする運びとなった。やってしまえばこんなものかと思うのだがやる前はどうしても食べたくて食べたくて仕方なくなるのだ。

前回の夏に断食を3日したとき、あまりにも自分の筋肉のなさに呆れてしまった。
すぐにケトンが出始め糖分不足になったのだ。
そこで筋肉をつけてからトライしようと思ったのだが、つけばついたで筋肉が落ちるのがもったいなくて結局3日しないことにした。

ただ今回の断食は前回に比べて糖分を欲して困るということはなかった。もしかしたら10月の半ばから朝ごはんを食べるのをやめたことが影響しているのかもしれないが、体作りは大切だよなぁとつくづく思う。

今回もレモネード断食をしたのだが
一日目はお水とヨギティーだけで過ごせた。
次の日はレモネードを飲み夜に小豆を食べた。
小豆の汁だけでする断食もあるそうだが
何しろ筋肉がどんどん落ちていったのでまずはプロテインと思い小豆も食べた。

その日から小豆を頻繁に食べているのだがなんとなく調子がよいように思う。
小豆には昆布と塩以外なにも入れないのだがとても美味しい。

冬は黒、腎臓
小豆など黒いものを食べるとよいとされているのだが本当に上手くできているよなぁと思う。

今年の冬はほっこりとした冬を過ごしたい。

夕焼け

テーマ:


今日の夕焼けをみたときとても幸せな気持ちになって、ああ、今自分は日本にいるんだなぁと思った。
日本の秋の夕暮れがこんなに美しく
自分がこんなに好きだったと今日まで気づかなかった。まるで外国で初めての景色をみたときのような感動を覚えた。

朝の時間も好きだがわたしは夕焼けがとても好きだ。

旅先で行った国や、昔住んでいた国を思い出してみてもまず一番に思い浮かぶのが夕焼けの時間だ。切なくて懐かしくて胸がきゅっと締め付けられるような、でもそっとここにある、そんな時間に思う。

どの国に行っても夕焼けがある。

だだっぴろい空にかーっと太陽が沈む夕焼け、
ゆっくりと空をピンク色に染めながら優しく沈む夕焼け
オレンジ色に染めながらパーティーが始まろうとしているように沈む夕焼け
しんとした中で赤く赤く燃えるように沈む夕焼け

今日の夕焼けは
あぁ、秋が近づいてきたんだなぁと感じることの幸せを噛み締める夕暮れだった。

前はそれほど秋が好きではなかった。
なんとなく寂しくて、大好きな夏が終わり、これから冬がやってくる、まるで日曜日の夜の気分だった。
食べ物を作るようになってから冬に対する意識がかわり、秋に対する意識がかわった。

わたしは昔から食べることが大好きなのだがこの5年ほどやっと作ることにも目覚めた。
お料理をするようになってから日本の四季は素晴らしいと思うようになった。
次の季節を迎える前には土用があり、
土用で養生し次の季節を迎える。
他にそんな国があるだろうか。
季節のお野菜、果物を食べることで
自然がより近くなり秋の虫のこえがいとおしくなり、無事に秋をを迎えることのできた喜びを感じる

お米を育てていないわたしですらこんなにほっとする季節なのだからきっとの農家の方は無事に収穫の秋を迎えることのできた喜びを感じてらっしゃるのだろう。


収穫の秋に万歳