「見る技術」について鋭くえぐった名言を紹介します。
■「人は見たいように見る」の原語の解説
「人は見たいように見る」という感じの訳で、ローマの名将ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)がガリア戦記に残した言葉が紹介されるのをたまに聞きます。
この言葉は、もともとは
Homines id quod volunt credunt.
で、実は「見る」という言葉は入っていません。
homines が人間、voluntは英語でもvolunteerなんて言うように「望む」というような意味です。id quod voluntが関係代名詞節で「望むところのもの」。creduntは英語でもcreditなどと言うように、「信じる」というような意味です。
『ガリア戦記』 3章18節では
...et quod fere libenter homines id quod volunt credunt.
と「自分勝手に、自由に、思うように」という節がつくので、
より正確な訳は「人間は自分が信じたいと望むようなことを自分から望んで信じる」です。
■「見たいように見る」と言われるゆえん
つまり、信じたいように信じる、ということもでき、「見たいように見る(=自分がそうであって欲しいと思うようなものとして自分勝手に見る)」
この言葉は『ガリア戦記』の、カエサルの副将サビーヌスが敵を上手く誘い出した作戦が成功した場面に出てきます。カエサルが寸評として書いた言葉なのです。
このときのサビーヌスは、敵ガリー人の大軍を前にし、武将カエサルは離れたところにいました。なかなか攻撃をしかけないサビーヌスは敵からも味方からも臆病もの扱いをうけましたが、彼は確実な勝利を得られないような状況で勝負には出ないのです。
そこで、サビーヌスは味方のガリー人に敵軍に忍び込ませ「ローマ軍はビビってる。カエサルも別なところで苦戦しているらしいから、サビーヌスは援軍に行くらしい。」と吹聴させます。
ガリー人は信じた。自分たちも食料などが乏しくなっていたし、これが本当だったらラッキーだな、都合がいいな、と思うから簡単に信じてしまったのですね。これを指して、カエサルは「人は信じたいように信じる」といったのです。
好機と思ってガリー人は余裕をかまして打って出たら、万全の体制で準備していたサビーヌスに敗走します。そしてカエサルも同じころ、敵に勝利します。
「見る」ということについて、カエサルは別の場面(第1章22節)では、「コンディシウスは怖気づいて怖さのあまり、見てもいないことを見たと言って報告した」と述べています。これもまた、信じたいように信じる、見たいように見る、の例ですね。
■私たちは、見たいように見ている
サビーヌスの敵のガリー人や、コンシディウスのような過ちを、私たちも犯していませんか?
見たいように見ていませんか?
自分に都合の良いように見てしまったり、無意識に見たくないものを見なかったり。
見てわかっているつもりなのに、都合よく解釈を捻じ曲げてしまったり。
早合点してしまったり。
思い込みで結論づけたり。
因果関係を狂わせても、自分の信念に合うような解釈をしてしまったり。
しかも、無意識にやってるかもしれない。
これについて、意識的にチェックしていく方法として「見る技術」ひいては「見る作法」を紹介していきたいと思います。そして、くれぐれも、悪用しないこと、自分のエゴを満たす都合のよい結果をもたらすために利用しないこと、です。
どうしてかというと、見る技術を悪用していると、同じように「見る技術」を持った人には「あの人はあぁいう使い方をする人だな」と必ず、バレるからです。
