Sapere Vedere ~見る技術~β版

アナログなやり方ですが、自分の目と良識を頼りに見る方法です。

「読む」「書く」「聞く」「話す」は習うのに、どうして「見る」は習わないの?


「ワトソン、君は見ていたけど、観察していなかったのだ。」


ちゃんと見て、しっかり言葉で表現できて、そこから得られる情報を自由に取り出せるようになる。


「見る」こともリテラシーの大事な技能の一つです。



このブログでは「見る」という作業を漠然と当てずっぽうに行うのではなく、観察したことを整理整頓して分析し、必要に応じてリサーチを行うなど、建設的な「見る技術」を提案していきます。帰納と演繹を行ったり来たりしながら、視覚情報の世界に漕ぎ出していきましょう!お問合せ・お仕事の依頼はmana_mana_chan@hotmail.comまで



このブログの【目次 】 (随時更新)


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絵の見方講座の準備のため、久しぶりに美術史の古典的な教科書をいくつか読み直しました。

ハインリヒ・ヴェルフリンの『美術史の基礎概念』とか
エルヴィン・パノフスキーの『イコノロジー(図像解釈学)』などです。

翻訳の問題なのか、恐ろしく難解に見える文体です。
私が学生のときは、アメリカの大学だったので英訳で読みましたが
当時、やはり難解に思えました。
言い回しがまどろっこしいんです。
韓国人の友人が、韓国語訳もおそろしく難解だと言っていたのを思い出します。

例えば、15世紀と言えばいいものを、クワトロチェントって言う。
1400年代ということを、わざわざイタリア語で言う。
15世紀のイタリア美術のことを、クワトロチェントと言い
16世紀のイタリア美術のことを、チンクエチェントと言う。
日本語訳でもわざわざカタカナで書いてある。

アメリカ人の先生も、いちいちイタリア語風に発音する。

初めて聞いたとき、なんでわざわざ?と思ったのを覚えています。
こういう単語が、ちょっと鼻につくのが美術史の本の痛いところなんです。


美術史の基礎概念

ぱっと開いたページの一部を抜粋すると:

「16世紀には画面の各部分は中心軸を囲むように配置され、中心軸がない場合にも、

画面の両半分が完全な均衡を生むように配置される。均衡とは常に容易に定義しがたい言葉だが、

17世紀の一層自由な配列との対比によって、感覚的には非常に明確に捉えられるであろう。」

何?!え?何?

「それは力学が「安定した均衡」と「不安定な均衡」という概念を用いて表示するような対比だということである。

しかし、バロックの描写芸術は、中心軸の固定に対してきわめて明白な反感を抱いている。

純粋なシンメトリーが消えるか、さもなければ、あらゆる種類の均衡のずれによって、

それが目立たないようにされるのである。」


何?だから何?


今なら分かります。

15世紀(ルネサンス時代)の絵は、絵の真ん中を挟んで左右対称の絵が多いけど
17世紀のバロック時代の絵画は、絵のド真ん中は外して、中心軸を左右どちらかに振って
そこを挟んでシーソーのようなバランスを取るか、対角線で全体を斜めにした配置になっている

というような事なんです。

左右対称のことを「安定した均衡」と呼び
中心軸をずらしてシーソー的バランスを取ったもの、対角線を活用した構図を
不安定な均衡と呼んでいる訳ですが・・・
もう少し言い回しを簡潔にしてくれていたら
美術史専攻学生の学習時間を短縮できるんじゃないかと思います。

だから、少しでも美術を勉強しようと思った人が
この本を読んだとき、仮に挫折したとしても、あなたは悪くない、と言いたい。
この本が分からなくても、絵が見えるようにはなります。
そして、絵を見て理解する方が、この本を理解するよりよっぽど楽だと思います。

 

クワトロチェントなんて言葉を知らなくても、クワトロチェントの絵画の特徴を抽出することは可能です。

こういう事を、かみ砕いて、かみ砕いて、かみ砕くのが私の仕事なのだと自覚して
最近、少しづつ人に伝えられるようになったのが嬉しいですね。
聞いてくれるみんな、ありがとう!役立ちますように!!

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色について、言いそびれた事、もっと話したかったこと、山ほどあります。

ほっといたら、あのまま5時間くらい喋ってしまったかもしれません。

 

八ツ墓村の撮影に使った、あのお屋敷はある”色”の原材料で大儲けした人の家だよ!とか

ジョットの遺体らしいものを発掘して調査したら、骨が鉛とヒ素に犯されていたということや・・・

水銀朱を作る過程が、まんま錬金術なこととか・・・

ゴーギャンとゴッホが揉めた理由の一つに、補色を押すかどうか、だった話とか・・・

色と絵具の話は本当に話が尽きないのです。

 

それも、次回、話せると良いですね。

 

【どうして学校で習わないのか?】

 

今回は、どうしてこういう話(構図の見方とか)を学校で教えないのか?という質問に

簡単に答えておきたいと思います。

 

まず、日本の美術関係の教育の問題のこじれは、明治維新の頃に端を発するのです。

そもそも、美術という用語だって、明治の初期にウィーン万博関連で

なんとか訳した新しい言葉です。それ以前の日本には無かった概念。

急いで整備した分野でもあるけど、内ゲバのような問題も起こしてしまった・・・。

それが、今に至るまで歪みを残している。

 

現在、大学における美術の教育は、三か所でバラバラに行われています。

美術史→文学部

美術教育→教育学部

美術の実技→美術大学

 

 

これ、私は日本に帰るまで気づきませんでした。

私はテキサス大学という”総合大学”の美術学部出身で

その中に、美術史・美術教育・美術の実技、の三学科が全部一か所にあったからです。

私は大学では、美術史・美術の実技の両方を専攻(BFA)し、大学院で美術史(MA)を専攻しました。

美術教育のクラスも普通に同じ建物で受けていました。

(この点については、後でまた述べます。)

 

まして、日本では美術の実技を”総合大学”で学ぶことは、ほとんど無理だと思います。

せいぜい、教育学部の特美くらいでしょう。

美術の実技は、美術系の学校という特殊な箱の中で行われていて

総合大学の中に美術学部があるなんて、よほどの例外です。

アメリカの大学では、むしろ当たり前にある学部なのです(アメリカかぶれで嫌な表現ですがあえて書いています)。

 

一方、普通教育の現場で美術を教える先生は、例外もあるでしょうが教育学部の出身です。

 

日本の美術教育は、美術家の育成(美術大学)とは別の、ガラパゴス的発展を遂げたと指摘されています。(私だけが指摘してるんじゃなくて、筑波大学の先生らが指摘されています。)

 

ということで、美術の現場と、普通教育の現場の乖離が起きている。

どういう事かというと、学校で習うことと、メディアに出てくる有名なアーティストの作品とが

全然違うという事態が起きている。

 

たとえば、学校では「絵具をチューブから出したのをいきなり塗るな」なんて習う。

しかし、超高額で落札される芸術家の作品が、明らかにチューブから出したものをキャンバスに投げつけたようなものだったりする。

 

学校では、他人の作品を模写しただけで作品とは認めてもらえない。

まして、有名作品にヒゲなんか描いて提出したら怒られる。

でも、実際にはそういう事で有名になった芸術家が山ほどいる。

 

子供も混乱しますよね。あれ、いいの?でも学校ではダメなの?と。

それを先生が説明できるほど、学史に通暁しておくのは現実問題として難しいと思います。

 

この乖離が、何故学校で習わない?という事態を生んでいるのです。

 

仕方ないんです。

それぞれの世界が、それぞれ利害でもって自律的な発展をしたなれの果てです。

 

【抑圧理論の影響】

 

学校で習わない理由は、まだあります。

戦前の型にはまった抑圧的な教育への反動です。

 

言ってみれば、構図についてとか、配色の理論などは、型と言えば型です。

もちろん、大事な型なんですが・・・

専門知識なんて、自由な発想の開花には関係ない、ってなもんです。

 

羹に懲りてなますを吹く、です。

 

結局、王政時代のフランスのアカデミーが教えていたことの形骸化した断片みたいなものを

学校で教えてしまっていたのですが。

(注:学校教育の名誉のため、最近では、改善を試みる様々な運動があることを述べておきます。)

 

【専門家の絶対的な不足】

 

最後に、美術史の専門家の絶対的な人員不足があります。

 

当然、人数が少ないから、彼らが美術史の学問の成果を他の学部の人たちに広めるまで

なかなか進まないのも、やむをえないのかな・・・と思っています。

 

先に、美術の3分野を学ぶ学科が、日本では三か所に分かれているといいました。

それがアメリカでは一つの学部であると。

 

違いはそれだけではありません。

教授陣の絶対数が圧倒的に少ないのです、日本の美術史学科は。

 

私が行ったテキサス大学の、美術史の教授は25人くらいいました。

 

25人ですよ、25人。専属で、です。フルタイムの、教授・准教授が、です。

メソポタミア専門(私の先生)、ギリシャ・ローマが数名、ビザンツ専門、日本の版画専門

日本のアニメ専門、近代フランス美術専門、ラテンアメリカ美術専門、

古代マヤ美術専門、イギリス風景画(そんなものまで!)

美術の研究手法の変遷史の専門、などなど、各分野のエキスパートが1~3名づつくらい”専属”でいる。

 

美術教育も、12~3人。

実技にいたっては、数十人、インストラクターをいれたら100人近かった。

 

美術史の教授は、美術史学科の所属が25人ほどで

建築史の先生は建築学科にいたし、各地域の美術の専門家は

各地域研究の学科に所属の人もいましたから、実質、美術史の講座を受け持つ教授の人数は

30人以上いました。珍しいことじゃありません、これが標準装備。

 

一方、東京大学の美術史は専属が3人。

3人ですよ!非常勤的に、他の大学からときどき講義に来てもらう人が

数人いる、という事ですが・・・

古代から現代にいたる膨大な美術作品を扱う分野で

数名では専門特化した領域を教えることだけでいっぱいいっぱいで

広く全般的なことを教えるのは難しいと思います。

 

東京芸大がもっとも多く、7~8人いますが、これでMAXです。

でも、このうち多くが東洋美術の専門家です(超ハイレベルな方々)

ということは、西洋美術の特定の分野とか、西洋美術の実技に関すること

西洋美術の学史となると手薄になっても仕方ない。

なにぶん、一人の肩に乗るものが多すぎる。限界があります。

 

基本、日本の大学の美術史学科は、教授は3人もいればいい方。

そういう状況です。

この状況で、どうやって専門家を十分に供給できるでしょう・・・この状況なのに

日本の美術の専門家は本当にレベルが高く、凄いと思います。

 

とにかく、人を養成する機関が手薄だし

美術史なんか専攻したくいっぱぐれると恐れる人も多いし

その割に、美術史は学際的で学ぶことが多すぎる分野だしで

もう、そら、無理っすよ、ってな話です。

 

少し話が逸れますが、ついでに書いておくと

美術史を勉強したい、という方にお会いすることもあるんですが

こういう状況があって、美術史を学ぶのが難しいというか、人数が少ないんで・・

学びたい分野を相当にピンポイントで決めて、その先生のところに行かないと難しいよ

という事をお伝えしたいです。

 

【どこで習えばいい?私のところに来たまえ(笑)】

 

ことほど左様な状況で・・・私が講座で話しているようなことは

あんまり聞く機会がない事になるんです。

実技的な内容と美術史の基礎との両方を合わせた内容だからです。

 

本当のところ、全体像を見渡すような話は大御所がするもんですが

大御所は忙しいし、日本の若い研究者は優れているのにとても謙虚だから憚っている。

 

ということで、私に出来る事はあるかな?と思案して

分かりやすく、面白いところを話してみてはどうだろう、と思い至ったのです。

みんなが専門家になりたいわけじゃない。

だから専門知識を、ただ横流ししても仕方ない。

むしろ、そういう手間を省いて、専門外の人が知りたいところをかいつまんで

段取りよく説明してみたい、そういう衝動に駆られています。

 

出来ているかどうかは別として、そういうところを目指しています。

エッセンスみたいなもの、他の分野とも通底する何か・・・そういうものを取り出して

聞く人、読む人がすでに知っていることを元に、理解できるような

そして自分が知っている世界を見るときにフィードバックできるような

そういう伝え方を目指していきたいと思います。

 

想いが強すぎて、言葉が多くなってしまいましたが

もう少し段取りよくお伝えできるように、さらに精進していきたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。

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額縁は、あるかどうかだけでも影響する。

その額縁が、どういうデザインかということも絵の印象に大きく影響する。

これについて、前回述べました。

 

今回は、では額縁の色は中身の絵にどういう影響を与えるのか、という話です。

やっと本題。

 

周辺の色は中身の色の見え方を変える

 

講座では、ルノワールの女性の肖像画を見せました。

背景の色がグレーか、赤かで女性の血色が違って見えましたね。

周辺の色は、中の色の見え方を左右します。

http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/art/news/scientists-digitally-reconstruct-renoir-portrait-9126981.html 

 

ということは、額縁の色によっては

中身である絵の色味が違って見える可能性があるということ。

これは分かり切ったことな上で

しかも考えてみればとても重要なことなんですが

案外と忘れ去られていることです。

私はこの点を、おおいに、おおいに指摘したい!

ピサロは自分で額縁を作っていて、絵の主要な色の補色になる額縁も構想していました。

左下の緑いろの絵のピンクの額縁は、それを再現したものです。

左上は画商が用意した額縁ですが、絵の色味にあわせて、くすみ化工を施していますね。

 

私のオリジナルの額縁アイディアの提案はここから

 

しかし、ここまでは、一般論の範疇です。

 

あまり詳しく説明できなかったのは、絵と額縁の色の合わせ方に関する

私のオリジナルの提案です。

絵の全体的な色合いを青み系と黄み系に分類した上で

合う額縁、合わない額縁を検証することでした。

このあたりが駆け足になってしまってすみません。

 

もちろん、色の“青み、黄み”については、よく知られたことで、別に新しいことではありません。ですが、絵をそれで分類するというのは、まだ為されていないように思います。

 

 

ずばり、青みの絵にはシルバー、モノトーン(白黒)の額縁が合う。

そして、黄みの絵にはゴールドや木目調が合う。

これは、青み=シルバー・モノトーン、黄み=ゴールド・木目という配色のルールがあって、それを踏まえたものです。ファッション、化粧品、インテリアなどの世界ではすでに活用されているルールですね。

 

実際、絵にも適応できるのでしょうか?

そういう目で見て見ると、歴史的な名画の額縁はほとんどが金か黒塗りかです。

一方、現代アートは、ほとんど額縁なしでむき出しで飾ってあるので、額縁問題は発生していない。

(この場合は、壁や床の色とのマッチング問題が発生しますが、これは別の機会に。)

 

どうしてか?

 

講座でも話しましたが、青みの色は比較的“新しい色、”近代の色です。

ユニコーンカラーとか、昔の絵で見たことないですよね?

 

伝統的な絵具は、土系のものなど、黄みが強いものが中心。

赤にしたって、主になるのはレッド・オーカー(赤土)、水銀朱(黄みよりの赤)です。染料系の絵具では、確かに青みの赤もあるのですが、これは朱になる不透明な絵具の上に重ねるように使うので、なかなか青みの赤を実現するのが難しかった。また、青みを実現するための青の絵具が大変高価で、比較的手に入りやすい青は黄みが強いアズライトでした(これも時代によっては非常に貴重)。

 

ということで、伝統的な名画は以上のような絵具で描くので、軒並み“黄み”の色を呈している。

よって、金縁がぴったりしっくり来る、ことが多い。

まして、ニスが変色して茶色っぽくなっていると、余計に全体的に茶系になるので金が合う。

 

面白いもんです。ほんと、そうなってますからね。

 

ですが、近代の絵になると、エメラルドグリーンだとか、マゼンタだとか、青みの色が安価で量産されはじめ、”青み”が主の絵も出てくる。しかし、それらの絵も、金縁に収まっているんですね。一部の印象派の絵、マネだとかローランさんの絵なんかもです。

色だけだと、左が合うのですが、それだとゴージャスにならない。

右は、色は合わないけど、伝統的な美術館で映える。

左だと、コンクリートの壁とか、モダンな建築では映えるはずです。

反対に、右の絵をモダン建築の中に置くと、キッチュになります。

 

これは、色が合うとか合わないとかで選んでいるのではなくて、豪華で凄い額縁に入れておく、という理由からそうしているだけです。しかしながら、青みの色調は黄ばんで見えて、少し野暮ったく見えてしまうのも事実。キッチュ感が出るのは、色が合わないのに金縁の額に入っているという様子が、それが生み出す“そぐわない”という違和感が、芸術まがい感を生むのですね。

 

逆に、伝統的名画のポスターを買ってきて、スチールの額縁に入れると

どうもピンと来ないというのも、この色味の問題があります。

(色だけでなく、意匠・テクスチャの問題ももちろんあります。)

 

正解はどこに?

 

どこに正解があるのか?

 

ここから先は、目的と好みの問題です。

歴史的にその額縁に入っていたから、というのも大事なこと。

作者の意向に重点をおくなら、それに従うのも一つの正解。

キッチュにしたければ、色や意匠を敢えてズラすのも良い。

あくまでも色味を合わせたい、と思うなら、法則に照らし合わせた色味の額にしたらいい。

 

目的の数だけ正解があるでしょう。

 

美術館などでは、3Dプリンタでも使って複製を複数用意して

いろんな額縁に入れて、効果の違いを並べて見せても面白いのに、と思います。

壁の色とか、調度品とかも変えて。ひとつの作品を、これでもかと違う状況で見せるのも

乙なもんじゃないでしょうか。

 

額縁問題。これだけで長々と話したいテーマです。

色以外に、意匠・テクスチャの問題とも切り離せません。

当然ながら、部屋の意匠、壁・床の色味との兼ね合いもあるんです。

非常に奥が深いけど、論理的に迫ることが出来るテーマでもあります。

ちゃんと順序だてて捉えたら、理解不可能な話ではないと思いますよ!

機会があればまとめたい・・・と思っています。

一冊、できそうですよね。

ですが、今回はこれで、一つの区切りにしようと思います。

 

 

絵は、絵だけで成立することはなくて、空間を占めている存在です。

見る人は、必ずどこかの空間で見ているわけですから

その空間と絵の関係は切りたくても切れないものです。

周囲の影響を受けているものである、と認識するメタな視点があるだけで

少しは落ち着いて見ることが出来るのではないでしょうか?

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