日本は言霊の国
言葉に 霊が
魂が宿っていて
その力が
森羅万象すべて(のものを こと)を成り立たせている
そこに気づくことが出来
思い出すことが出来
そして それを上手に“(悪用ではなく)活用”していけるならば
私たちは もっともっと
強く 優しく 楽しく生きられるでしょう
己の言霊が
これまでの 己の人生を 己の世界を 己の宇宙を創ってきたのですから
己の 発する言葉や “利用の仕方”を変化させることで
己の未来は 変幻自在に変えていけるのです
私たちは 遥か遠い過去の時代に
隷属的に生きることが 当たり前であるように
それが 人としても素晴らしい生き方であると (霊的に埋め込まれ 植え付けられて)
思い込まされて
真実を知ら(され)ずにきているために
(あの手この手の巧妙なやり方
広域なネットワークによって
思い出せないようにも 忘れてしまうようにもされてきたために)
“そうである”こと(真実)などを知らずにきました
(『愛』と「愛”情”」を混同させ)
本当の自分の気持ちを抑え 押し込めて
己を (無理をし過ぎ 心や身体を壊したり 何かを)
犠牲にしてまでも
自分よりも相手のことを思いやる気持ち(そう見える 映る)から… (であっても)
誰かの声や 誰かの想いを優先させて生きてきていたとしたら
また 単純に己の思考を停止させて 誰かの思考を生きていることで
“本当の意味で” 己を生きていなかったとしたら
たとえどこかで
そういったことの真実を目にしたり 耳にしたり
知る機会を与えられ(得)ていたとしても
おいそれとは信じられずにきたでしょうし
今の世にも 今の自分(たち)にも
何の疑問を持つこともなく
もしかしたら 興味関心すらないことから
目にする 耳に入ることさえなく
(本来)仲間(であるのに そのことにも)に気づけず
敵に回して(争ったり 攻撃したりしてしまって)い(た)るかもしれません
親も そのまた親も…
“その当たり前”が
世の常識 良いことであると認識して生きてきたなら 尚更
同じような思考 同じような意識を持ちやすいでしょうし
そう思い込むのも
気づくことなく
繰り返されていくのも仕方がないのかもしれません
そういったことを 誰が言った言わない
どれが正しい正しくない
それがどうだこうだとかに意識を向けるのではなく
何であっても 誰の言った言葉であっても(当然このブログも)
鵜呑みにせずに
己でしっかりと調べることで
真実を知って
その上で 自らの意志を歩んでほしいと想います
すべてを 己の本能で決済してほしいと想います
それが 真の自己を生きることなのではないかと想っています
どちらでもいいのです
誰を 何を信じるのも 選択するのも自由です
このまま 今の世界に留まるのも自由
ローヤーセルフを生きるのも ハイヤーセルフを生きるのも
選択権は自分にあります
すべては いつも自分次第です
ただ どうかせめて
自分で真実を確かめて
知った上で決定してほしいと想います
信じる信じないは別として
見える世界でも また見えていないところでも
私たちの気づきのために
いろんなサインを送ってサポートし 応援し 後押しし
見守ってくれている存在(意識(体))がいることも感じられたなら
とても心強いと想います
事実を 真実を知り…
巻かれていた煙の
その壁を自分で突破出来たなら…
己の本当の力を知り
己の本当の力を発揮出来たなら…
そこは (そこが)
本当の自由で楽しい世界
喜び溢れる世界(であることに気づく)になってしまうでしょう
どうしてこんなことに意識を向けて
『愛』にではなく
恐れにエネルギーを消費し(今の目の前の現実を創り上げ)てきたのかを思い知るでしょう
みるべきところはそこではないこと (意識を向けるところはそこではないこと)
このままでは取り返しがつかなくなってしまうことにも気づくでしょう
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現実のすべてを構成している素粒子は
「観察された瞬間しか 存在しない」といわれています
私たちが関心を払っているときだけ姿を現し
その場から関心をそらすと
あらゆる場の中のどこかに消えてしまう…
すべての素粒子は波の性質を持っていて
観察される瞬間まで 素粒子は波
観察されなければ 素粒子は空間を漂っている波に過ぎず
関心を抱く(観察する)ことで
波であるものが物質(粒子)に変わる
【観察前】
~~~波
空間や時間を超えて広がっている波
非物質的 非局所的(場所と無関係)
心の領域にある
【観察時】
● 粒子
時空間で起こっている出来事
局所的
物質の領域にある
観察前 波として広がっているものを
測定可能な物質に変えるには
興味を持つ 関心を払う(観察する)こと(で起こる奇跡)
自分が 何に関心を払っているかで
何が創造されるかが決まる
関心が薄ければ 私たちは何も創造出来ない
しかし 関心を集中すれば
私たちは 素晴らしいものを創造出来る
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今 目の前に広がっている世界は
とても安心安全なものとはいえないものかもしれません
外側は内側の反映…
私たちの内側… 集合意識が創り出してきたものだとしたら
私たちの意識や 思考や 言葉をどのように変えて
どこに関心を集中させていけばいいかを考えて
そのことに関心を払い続けるならば
関心をそらさずにい続けるならば
理想とする世界を創っていくことも夢ではないのでしょう
これまで 私たちは
地を汚し
空(気)を汚し
水を汚し
生き物を苦しめ
地球にかなりの負担をかけ 苦しめてきました
このままいけば そう遠くない未来に
生存が危ぶまれる事態だという声も耳にするようになりました
雨や風が 浄化の働きをしてくれていることはわかっていても
最近の大雨 台風 突風は破壊的です
(中には 人間の意図的なものもありますが)
それほど酷いということです
方向転換をしなければ
ガイアは 早く私たちに気づかせようと
より明確なサインを送らざるを得なくなるかもしれません
人間だけの都合で進めていないか
一部のものにだけに都合がよくなるように進めていないか
今一度 しっかり見直していかなくてはならないときなのではないかと感じます
日本も 他国の現状をみても
権力を持った者がすべてを決定し
強引に推し進めていく(きた)やり方を
今後も このままでいいのかどうかを考える機会として(露呈) 与えられ
権力者たちの その達成のために都合が悪いことは
嘘や誤魔化しで隠蔽してきた
その繰り返されてきたパターンを壊し
再構築していくために
ハッキリとわかるように 見せてもらえているのではないかと感じています
みんなのための 本当に良き世に変えるため 変えていくためのきっかけとして…
大きな転換期を迎えているということかもしれません
ひとりひとりの意識 関心によって
大難を小難に
小難を無難に変えていけるのではないかと想っています
(己が) 敵と思えば敵となり
(己が) 仲間と思えば仲間となる
火(か)と水(み)といったら 相反するもののように見えますが
相反する両方が合わさる(手を合わせる)ことで 神(かみ)のような働きとなります
今 まるで敵にしか見えない 感じられない存在を
大いなる愛の目で観たとき
それは 神聖なる働き 神聖なる役目として映し出されるのかもしれません
『神』・・・しめすへんに 申す
言葉(申し)で示す
言葉で導くのが『神』
でも 直接ではなく
人間を介して
人間を通して言葉を発しています
己の直感や閃きを信頼して
己の根底からくる声(言葉)を
己のハートに響いてくる言葉を信頼して
愛と共に 光の世界を創っていきましょう
日本は言霊の国
気がついたら ここにいた…
この国に生まれていた…
それだけで とても凄いこと 有難いことかもしれません
I LOVE・・・