いつから個人情報、個人情報と言いだしたのだろうか。もう随分昔の話ではあるまいか?
こんな社会の中で個人情報は驚くほど漏れていると思う。ということは、漏らす人がいると言うことだ。
いとも簡単に人の事をもらす、そしてにっちも察知にもいかないようになってしまう。
電話や、メールでいろんな情報が飛び交っている。子どもたちも結構情報を持っていて、親に話す。
色々考えながら生きているのだが、口が軽いと言うか言ってはいけない事を漏らしてしまう。
漏らした本人は忘れてしまっているのかケロットしているがそんな人間は信用できない。
相手に誠意を示さない人には、何も話せない。そう考えると如何に人間的に寂しい人なのかと思ってしまう。
相手が不利になることを簡単にしゃべってはならないのに、喋ってしまう。
喧嘩する子どもたちにとっても、喧嘩するには喧嘩するなりの原因がある。
喧嘩は回り回って、ぶっつかってしまったという結果が出たに過ぎない。
喧嘩両成敗といううのは良く言ったものだ。片方だけが悪いわけではないが、要領の悪い者はいつも「貴女が悪い」となる。
私は喧嘩に介入しないという主義だから、ある意味子どもたちに考えてもらう。そして子どもたちに結論を出して欲しいと思う。
言われ続けられて、休職をしたり、辞めたりした人を知っている。まだそのことから立ち直れないで悩んでいる。
ただ精神的に弱いと言うことで片づけられない現実がある。最初から喧嘩しないのが一番いいがそういうわけにもいかない。
いとも簡単に「死ね!」と言うが、死ぬことが本当の意味で分かっていない。心が満たされていないのだと思う。
やられるのははっきり返事が出来ない子、意見を言えない子だ。一人ひとりの考え方を聞いてやることが大事だ。
子どもたちが何を考えているのか、何に対して不満があるのか。しかし学童の先生がしてあげられることには限界がある。
勉強をして、スポーツをして、親と仲良く出来ていたら、いじめなどないと思う。
どこかに、不満が蓄積されそれがいじめとして爆発する。親、学校の先生、学童の先生、近所のおじさん、おばさん。
子どもが皆から愛されているということを知るならば、虐めはないと私は思っている。
何故愛されていないと思うのか?自分の思い通りにならないからか?ただ甘えたいばかりなのか?
親も子も自立できるように生きていかなければならない。親離れ、子離れも必要なことだ。
親に見せる( ^^) _U~~と先生に見せる(^_-)-☆が同じでないのかもしれない。
過保護でもいけない、放任でもいけない。厳しいばかりでもいけない、甘え貸してばかりでもいけない。
大人同士の関係でも正にこのことは通用するかも。間の取り方が難しいと思う。
この時と思う時に口を出す、手を出す。それまでは本人の事を見守る。
あまり手を出すと、依存症になってしまうしそのタイミング゛が難しい。情に流されてばかりもいけない。
簡単なようで難しいのが付き合いと言うもんだ。子どもたちも付き合い方に戸惑っているのかもしれない( ^^) _U~~