二人の皇后の計画とは ~平成の闇ありすぎ⑵~ | love-3025のブログ

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     本格的に寒くなってきました。今日はマイナス4度が最高気温です。

     それでも例年よりは暖かいかもしれません。あと1か月の辛抱です。

     節分が過ぎると、溶けながら降る雪に変わってきますから。でも、そんなこと

     能登の方がたには、慰めにもならないでしょう。胸が痛いです。

 

  昨日の記事で私がミッションスクールの高校に行った話をしました。家は曹洞宗で、

  神棚もありましたが、高校受験に失敗しミッションスクールに行かざるを得ませんでした。

  看護師になるには高校に行かねばならなかったから、必死でしたよ。

 

  平成の闇、今日はその中から皇后二人のお話を書きたいと思います。皆さんの記憶にも

  あるでしょうか?私は週刊誌で読んだ記憶で、あれこれ探して読み直してみましたが、

  肝心の週刊新潮の記事は直接には読めませんでした。

 

  

  皇后雅子様には危機が何度もあったでしょうが、中でも2003年と2013年、2018年は、

  その意味は違いますが、皇后さまにとっても私たちにとっても、大きな危機だったと思い

  ます。

  前者は皇太子妃としての危機で療養に入ることになったからです。2003年は、男児を

  産めというプレッシャーを、当時の天皇皇后や宮内庁長官から執拗にかけられ、上皇に

  至っては毎月呼び出し月のものがあるか聞いたという、セクハラをしています。メキシコ

  大統領の晩さん会で紹介飛ばしもありました。そして入院ということになりました。

  敬宮様は2歳でした。

  この最初の危機は、女帝と言われる方の嫉妬や敬宮様を出産されたことへの焦りであった

  でしょう。何としても追い出したかったのでは?と思えるのです。この頃、宮内庁では

  公然と石女は不要と言われていたと言います。

  2004年、皇太子の人格否定の発言が大きな問題となる。

  2005年、皇室典範改正をやめさせる(皇位継承は長子優先、女性宮家)

  2006年、悠仁さん誕生

 

  二度目の大きな危機の前までには、雅子様だけでなく敬宮様への攻撃がありましたが

  省略します。

 

  2012年、天皇、皇太子、秋篠宮の三者会談が始まる。これは皇太子に天皇の生前退位を

        恒久的なものにすることを納得させるものだったろうと思うが、皇太子はその

        考えに乗らなかったと思われる。

 

  2013年、二度目の危機、この危機は立后阻止をしようとする企みです。

 

      「ついに『雅子妃に皇后は無理』の断を下した美智子さまの憂慮」という新潮の

       記事が出る。要は公務や祭祀が十分にできないからと、美智子様が言ったという

       ことで宮内庁が反論をしている。また悠仁さんに皇位継承するために皇室典範改

       正の要請がされ、天皇、皇太子、秋篠宮が了解しているというのは事実無根と言

       っている。

 

  私はこれは大筋で事実だろうと思っていますよ。

  この頃から具体的な退位についての策を練ったのでしょうね、そのためには皇后になられる

  方が、何でもこなすようでは困るわけです。あれもできない、これもできない、とあげつら

  ねることで自ら辞退すると皇太子も辞退すると思ったのではないですか?

  新潮がすっぱ抜いたことで、政府と関係なく天皇皇后が動いているとなるとまずいから、あ

  わてて反論をしたということです。天皇退位に伴い、秋篠宮がその座に就くという流れは、

  皇太子の了解も得られず、雅子妃も辞退などしないため頓挫しますが、紀子さんは皇后に

  なると固く信じていたと思います。

  なぜなら、

  『周囲から悠仁さまの教育について助言されたとき、紀子さまは「私はこれから皇后になる

   人です。みなさんにどうこういわれる筋合いはありません」とピシャリ。「みなさん、平

   民に……」ともいわれたともいう。』

                        THEMIS』(2015年9月号)

 

  この有名なセリフは、上記の流れや思惑がないと出てこないセリフでしょう。しかもこの

  頃は、廃太子論やデビ夫人の皇太子移譲の署名活動や交流が盛んでした。

 

  2016年、天皇がビデオで国民に退位の意向を示す。

 

  2018年、最後の危機は皇后の役割を、紀子妃に回し実質的な皇后の道筋と、建前の皇后を

       空位なものにし皇統移動への道筋をつけるというもので、二人皇后の計画です。

 

      美智子皇后は雅子妃が皇后になっても十分に役割を果たせないだろうから、年間

      の大きな行事だけに参加し、ほかのことは紀子妃に皇后の役割をさせるという、

      二人皇后の案をだし、実際に官僚が教育のため秋篠宮邸に通ったという記事が出

      ました。

 

 

  上の記事は、週刊誌報道で美智子皇后が東宮御所に雪の夜に走ったという記事。

  この時、否定するために行ったのか、説得に行ったのかはわからないし、宮内庁発表

  にもないです。このころ眞子さんの結婚延期でバタバタしていたので、発表も真子さん関係

  ばかりです。

  

  私は二つのことを考えましたよ。

 ・このままでは雅子妃が皇后になると川嶋教授が騒いだ?紀子さんは騒いだでしょうね

  そのための懐柔案ではないか。

 ・ここまでコケにされたら皇后としての役割を果たせず、早く皇統移動が進むのではないか、

  と考えたか。 

 

  どちらもあったのではないか、というのが私の考える結論です。

 

 

  最近の紀子さんの様子が変ですよね。

  美智子様のようなやり様は、何を意味してるでしょうか?

  妄想の世界で皇后になってなきゃいいのですが・・・。

  天皇ご一家にご迷惑をかけないかと心配です。

 

    今日はここまで、

 

       今日も読んでいただき有難うございます。パー