2017年10月6日(土) くもりのち雨

最高気温: 19.0℃、 最低気温 14.0℃

 

 

2階の風呂場の窓から

 

 

幸多とちびが代わる代わる外を覗いていると思ったら

 

 

 

案の定、斜め裏のお宅にかーちゃん。(2階の窓から望遠レンズで撮影)

 

 

 

・・・と、ハチワレ。

 

 

 

「ここは安全な場所だよ。

かーちゃんとはぐれたり何かあったりしたら

ここで待ち合わせすればいいよ。」

 

とわかってくれればなぁ、という願いをこめて

これまで、かーちゃん親子を見かけるたびに

ガレージに置いてあるトイレベッドに

こっそり少しだけフードを忍ばせていたのだけれど

その思いが通じたのか、

子猫たちだけで我が家のガレージで遊んでいることも

毎日ではないけれど、少しずつ増えてきた。

(まぁ、見に行けば相変わらずばびゅーん!なんだけども。)

 

 

そうなると、このままフードをあげ続けるのはよくない。

と思うようになってきた。

 

 

 

今更だけど、私は猫が大好きだ。

 

犬も大好きなので、犬派か猫派か聞かれるとすごく困るのだけど

自分の性格が犬か猫かと聞かれれば、断然猫。

(集団行動が大の苦手、ひとり大好き、でもひとりぼっちは嫌い。)

 

だけども、

いや、だからこそ

野良猫の無責任なエサやりは大反対だ。

(いわゆる地域猫など、ボランティアさんが世話をされている場合は別。)

 

なぜなら、エサのあるところには猫が集まる。

猫が集まるところには雄雌の出会いがある。

出会いがあるところには子猫が生まれる。

 

野良猫に去勢・不妊手術をすることもなく、糞尿の始末をすることもなく

野良猫のいる場所に手当たり次第にただエサをばらまくという行為は、

結局は「不幸な野良猫」を増やしているだけに過ぎない。

 

 

また、子猫たちが人間からエサをもらうことを覚えると狩りをしなくなる。

楽に食餌にありつけるのだから、狩りをする必要がなくなるからだ。

 

生まれながらに狩猟本能を持ち合わせているとは言え

狩りの仕方を教わっていない子猫はオトナになっても狩りはできない。

 

母猫にやり方を教わり、実践訓練を重ねて

初めて狩りができるようになるのだ。

 

狩りができない猫は、人間に頼ったり

ゴミを漁ったりせざるを得なくなる。

ネコが増えれば増えるほど糞尿の問題も大きくなる。

 

結果、『人間社会の厄介者』 という扱いになってしまうのだ。


 

猫に無責任にエサだけを与える(そのほかの面倒を見ない)ヒトは

 

「猫がかわいそう」

 

なのではなく、

 

「猫にエサをあげられない自分がかわいそう」

 

なのであって、猫のことを考えているのではなく

結局は自分がかわいいだけだと思っている。

 

 

だから、いくらちびのかーちゃんとそのこどもたち、

つまりちびの血縁だからと言って、

自分があの子たちの面倒を見られないのなら、

子育てはかーちゃんに任せるべきであって、

これ以上自分が手を出してはいけないし、

ごはんをあげてはいけない。

 

ただ、落ち着いて寝られる場所とお水だけは提供してあげる。

そう決めた。

 

 

「してあげる愛情」 よりも

「してあげない愛情」 の方が、強く、尊いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・などと、

 

 

こんなにえらそうに講釈を垂れている自分の意思が

あっさり打ち砕かれる事件が翌日起こったのである。