こんにちは。
今日オーストラリアはANZAC DAYという戦没者の追悼や新旧軍関係者への敬意を払うという日になっています。
今日のブログは戦争のことで長くなりますので、ご興味のない方はスルーしてくださいね。
ANZAC DAY、なぜ4月25日かというと、第一次世界大戦中の1915年、オーストラリア・ニュージーランド連合軍がトルコのガリポリという所へ上陸した日になります。
その上陸した時間の午前4:28に合わせてオーストラリア各地、また戦地となったガリポリ、フランスのウエスタンフロント(有名なフランダースの辺り)などでDawn Serviceという明け方の式典が行われます。
今日は式典には参加しませんでしたが、式典の会場になった場所へ後からパートナーと出かけてきました。
私のパートナーは元オーストラリア空軍に所属していました。
パートナーのお父さんも空軍。
おじいさんは陸軍にいて、第二次世界大戦中にパプアニューギニアで日本と戦ったそうです。
弟は陸軍の一員として東ティモールとアフガニスタンに派遣されました。
パートナーの大叔父さんはこの戦没者のメモリアルに名前があります。
こちらにきた当初はANZAC DAYというとなんだかかつての敵国出身者としては後ろめたい感じのする日でした。
でもパートナーと知り合い、Dawn Serviceに参加するようになってからはそんな後ろめたさも消えました。
嫌な目にあったことはありません。
私はこの日を戦争で犠牲になった全ての人を追悼し、また家族を含め色々な人達の犠牲や苦しみがあって、私たちが今平和な世の中で自由にしていられることに感謝する日としています。
特攻隊ででスタンバイしていたものの、飛行機がなくなり命拾いした伯父。
サイパンで戦死した祖父の弟。
同じくサイパンで負傷し、アメリカ軍が足の切断手術をしたために命拾いした義理の祖父。
生後二週間で東京大空襲に遭い全身大火傷をしたけど助かった叔父。
亡くなるまで米軍座間基地の近くに住んでいました。
亡くなるまで米軍座間基地の近くに住んでいました。
全て故人ですが、彼らのことを想います。
また私は防衛省(当時は防衛庁)官舎の近くで育ったので同級生にはたくさん防衛省関係の友達がいました。
そして私のパートナー。
数々の言葉を絶する状況に対処しなければならなかったり、上司から昇進を妨げられたり、過剰な労働時間など色々なことが重なり病気になり除隊を余儀なくされました。
でも彼を含め多くの人が平和な世の中を望んでいます。
殺し合いが好きで軍隊に入っているわけではありません。
私の母も子供の頃から戦争の酷さをたくさん教えてくれました。
髪の毛の色が赤毛に近い薄い茶色でカーリーヘアだった母は、戦争中に「アメリカ人、アメリカへ帰れ」といじめに遭ってきました。
そんな母と子供の頃から色々な戦地だった場所を一緒に訪れました。
中でも1992年に訪れたパールハーバーのアリゾナメモリアル、戦後何十年経っても撃沈された船から出続けているオイルは印象的でした。
話はANZAC DAYに戻りますが、戦争で犠牲になった犬や馬にも敬意を払うために設けられた紫色のポピー。
残念ながらその存在を知ったのはつい2日前で今年は間に合いませんでしたが来年はポピーを買いたいと思います(そのお金が the Australian War Animal Memorial Organisation という団体に寄付されます)。
(写真はRSPCA QUEENSLANDよりお借りしました)
Lest we forget
アジアの情勢きな臭さが続きますが、どうぞ何事も起こりませんように。