自分のエゴを超えて、人を愛せたらどんなに素晴らしいか、ある意味、小さな私の挑戦(?)を試みていました。
しかし、エゴがあるから人間だとも思うのです。
陰と陽がある様に、雨の日と晴れの日がある様に、光と影がある様に。それは絶対的自然のルールであり、もしかして、神や宇宙人と私達が呼んでいる絶対存在があるとしたら、それ以外は全てこの絶対的ルールに従って生かされているのではないでしょうか?
祈りとは、人の為に祈ること、それはとても素晴らしいことですが、しかし、祈りは自己認識の一つでもあります。
自己認識を超える為には自分が全くの「無」になる事。「自分の」祈りが届く事を願うのではなく、ただそれを祈る事。
私は人間でありエゴがあるので、私の祈りが届いて欲しいと思ったりします。また、自分の幸せを祈り、自分を幸せにすることで、周りの人を幸せにできると思います。
でも、それは私の中では正しい、私が願うべきことであるのです。たとえ、エゴがあったとしても。
神は人の中に居るというのが私の思っていることなのですが、(人はエンジェルにも悪魔にもなれるので)でも、人は神にはなれないと思います。
ちなみに、最近巷で流行っている「神」という言葉。スゴイこととかを神というでしょ。特に若い子達。また、神の手とかゴッドハンドとか、、、あれは絶対他の国ではあり得ないこと。神とは唯一無二なので、そこら辺じゅうに神が溢れることとか、人のちょっとしたいいところを神と表現するなんて、他の宗教の人にとってきっと想像もできないことじゃないかなー。
また、占いやヒーリング、癒しといった事ができる人達は決して神ではなく、人間本来の持つ力が備わっている人、その能力がある人であって、やっぱり人間なのです。特別な存在、とするなら、人間全てが特別な存在です。それぞれにそれぞれの特別な役割と能力とがあるのだから、、、
人間としての私が、エゴと神聖を持つ人間を、良いところも悪いところも、陰も陽もすべてひっくるめて愛すること、それが愛なのかもと、思っています。
そして、その愛は人間らしくエゴもあり神聖もあり、でもそのバランスが取れているのが、今私の目指す愛の形なのです。
意思表明演説っぽくなっちゃった。
読んで頂いてありがとうございます。←ますます、演説っぽい。
しかし、エゴがあるから人間だとも思うのです。
陰と陽がある様に、雨の日と晴れの日がある様に、光と影がある様に。それは絶対的自然のルールであり、もしかして、神や宇宙人と私達が呼んでいる絶対存在があるとしたら、それ以外は全てこの絶対的ルールに従って生かされているのではないでしょうか?
祈りとは、人の為に祈ること、それはとても素晴らしいことですが、しかし、祈りは自己認識の一つでもあります。
自己認識を超える為には自分が全くの「無」になる事。「自分の」祈りが届く事を願うのではなく、ただそれを祈る事。
私は人間でありエゴがあるので、私の祈りが届いて欲しいと思ったりします。また、自分の幸せを祈り、自分を幸せにすることで、周りの人を幸せにできると思います。
でも、それは私の中では正しい、私が願うべきことであるのです。たとえ、エゴがあったとしても。
神は人の中に居るというのが私の思っていることなのですが、(人はエンジェルにも悪魔にもなれるので)でも、人は神にはなれないと思います。
ちなみに、最近巷で流行っている「神」という言葉。スゴイこととかを神というでしょ。特に若い子達。また、神の手とかゴッドハンドとか、、、あれは絶対他の国ではあり得ないこと。神とは唯一無二なので、そこら辺じゅうに神が溢れることとか、人のちょっとしたいいところを神と表現するなんて、他の宗教の人にとってきっと想像もできないことじゃないかなー。
また、占いやヒーリング、癒しといった事ができる人達は決して神ではなく、人間本来の持つ力が備わっている人、その能力がある人であって、やっぱり人間なのです。特別な存在、とするなら、人間全てが特別な存在です。それぞれにそれぞれの特別な役割と能力とがあるのだから、、、
人間としての私が、エゴと神聖を持つ人間を、良いところも悪いところも、陰も陽もすべてひっくるめて愛すること、それが愛なのかもと、思っています。
そして、その愛は人間らしくエゴもあり神聖もあり、でもそのバランスが取れているのが、今私の目指す愛の形なのです。
意思表明演説っぽくなっちゃった。
読んで頂いてありがとうございます。←ますます、演説っぽい。
