うーん、こんな地上で丸ノ内線を目撃するとは⁉(笑)
前回の「谷の水溜り」説ですが
これはこれで
なかなか説得力があるように思います。
”茗荷谷”は、丸ノ内線の茗荷谷駅から南へ坂を下ると
滝沢馬琴の墓がある深光寺のあたりが一番低く、
これを過ぎるとまた上り坂になります。
また、西側は拓殖大キャンパスが建つ高台、
東側も春日通りに向かって高くなっています。
要するに、谷とは言っても
深光寺付近を底にした窪地のような地形です。
大雨でも降ろうものなら
排水施設のない昔は
おそらく冠水したに違いありません。
そうすると「谷の水溜り」説も
あながちウソだとは思えません。
それからもう一つ気になること。
江戸時代から明治44年まで
”小日向清水谷町”という町名がありました。
これも今の小日向4丁目あたりです。
町名の由来は
林泉寺というお寺のあたりを”清水谷”といった・・
というものです。
林泉寺は深光寺のお隣です。
”清水谷”というからには
清水が湧き出て小さな沢があったのかもしれません。
だとすると、
なおさら「谷の水溜り」説が信憑性を帯びてくるわけです。
(つづく)
(文京区小日向4丁目)