またまた久しぶりの更新です。
こんにちは。
森田えつこです。
今日も大きな気付きがあったので、
覚書として。
(一応)最後のちえさん とのセッション。
「やっと子どもらしく振舞える♪」
この気づきは、私にとって
非常に意味深いものがあるんだよねぇ。
お母さん、おばあちゃん、おじいちゃん、
お父さんと、現在の私と、私の娘に囲まれて、
みんなに注目されて
その中ではしゃぐ、幼いわたし。
それまで私は
「一人で遊べる、いい子」だった。
いい子であるために
○お母さんの邪魔をしない
○なんでも自分でやる
○自分の気持ちを言わない
○一人で遊ぶ
これらのことを自分に課した。
(まだあるかも)
2歳の子どものくせに、
こんなにたくさんの「マイルール」を作ってたなんて!!!
(我ながら、びっくり。。。!)
でも、「お母さんの邪魔をしない」は
自分で作っておいてナンだけど、
それを守ることは
イコール自分に苦痛を与えるだけだったということには
残念ながら、その時は気づいていなかった。
このマイルールがゆえ、
私は「つながり」への渇望が強烈にあった。
お母さんに甘えたいのもそうだし、
注目してもらえることも。
そうしてもらいたいのは山々だけど、
そうお願いすることは、
忙しいお母さんの邪魔をすることになる。。。
2歳で、ここまで気を使ってたわたし。
(えらい!!)
そしてそれをもっと深く見ていくと、
「お母さんの子宮に戻りたい」
と思っていることが見えてきた。
これは今、書いてて感じてることなんだけど。
ああ、そうか。
以前、リバースのセッションで出てきた、
「生まれたくない」感覚か。。。
そっか。
やっぱり、生まれてくるんじゃなかったって、
思ってるな。。。(苦笑
ここはもう一回、セッションしたほうがよさそうだ。
あと。
お母さんのお茶碗とお箸の件。
もの心付いたころから、
不思議に思ってたこと。
私の母は、自分のお茶碗とお箸が、なかった。
いつも、誰かが食べ終わったおかずのお皿に
ご飯を乗せて、割り箸で食べてたの。
それが子供ながらに、不思議でねぇ。
何でウチのお母さんは、
自分のお茶碗がないんだろうって思って。
お母さんに聞いたら
「お母さんはいんだよ。」
という、意味不明の答え。。。
これはおばあちゃんの影響だというのは
子どもながらに分かってて。
これもマトリックスで、
お母さんにお茶碗とお箸をあげたら
すっごく喜んでくれて。
私もうれしくて。
でも、おばあちゃんは、
そんなうれしそうな母を見てるのは
おもしろくないようで(苦笑
実は、おばあちゃんも、寂しいの。
とーっても孤独。
だから、死んだおじいちゃんを呼んできて
おばあちゃんに会いに来てもらって。
そしたら、二人、ラブラブになっちゃって☆
私は、あんなにうれしそうなおばあちゃんを
見たことがなかったから
ちょっと、あっけにとられたというか。。。
でも、機嫌のいいおばあちゃんを見るのは
無条件でうれしいことだったから、
やった~!
それから。
私は幼い頃から、
ウチは他の家族と違う、と思ってて。
それは、なんと言っても、会話がないこと。
外で食べても、他のテーブルでは
にぎやかに会話が聞こえてくるのに、
ウチだけ「シーン」・・・
それが、このマトリックスで
みんなで水澤のおうどん♪を食べに行ったとき、
大人が、食事をしながら会話をしてる!!
それを見ていた2歳の私は
もう、うれしくてうれしくて。
「これでやっと、みんなと同じになれた!!」
と思えて、うれしくってね。
このセッションでわかったことは。
三つ子の魂百まで
これ、ほんとに大事
幼い頃、ちゃんと大人に「受け入れてもらえてるかどうか」、
「注目してもらえてるかどうか」
これは成長するにつれて、その影響が必ず出てくる。
体験として、ほんとにこれは、比例する。
私の実体験では、幼い頃、
親との「つながり」がほとんどなかったため、
大きくなるに連れて、コミュニケーションに苦労した。
職場にいても、友達といても、
ぽつんと孤独を感じていた。
思い起こせば、
20年前の私は、友達を誘うということは
かなり勇気の要ることだった。
セッション中に感じた、
大人たちの注目を一身にあび、
大はしゃぎしていた私の中にあった
とてつもない「安心感」。
やっぱり、土台は、これ。
この「安心感」が、子どもの必須栄養素。
今日のセッションの入り口は、
将来の不安だったんだけど、
どんどん深く入っていったかと思うと
思いがけない展開で、
でも結局「またそこか~」(笑 みたいな。。。
ぐるぐるしながら、
少しずつ絡まった糸をほどいてる、
そんな感じ。
あー、また今日も少し楽になっちゃった♪
いや、少しどころじゃないな、今日のは。
うふふv(^-^)v