朝から雨が降り続いているブリスベンです。

このしっとり感は久しぶり。

少しは空気も潤うといいんですけれどね。

これはクイーンズランダーの涙雨・・・かな?

昨日のステイト・オブ・オリジン第1戦は、NSW州の勝利となりました。

全く興味のない私はベッドルームで本を読んでいたのですが、リビングルームから聞こえてくるボーイズのギャーギャーと騒ぐ声が気になって集中できず。

それが後半になって徐々に小さくなってきたので、なんだか嫌な予感はしていたんですよね。

最後はかなり静かになっていました。(笑)

第2戦は数週間後。

果たしてどうなることやら。

 

 

 

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先月のこと。

息子が学校から1枚の書類を持ち帰ってきました。

そこに書かれていたのは、「息子が学校でデジカメを使用することを認める件」に関する確認の署名を求める内容と、それに付随する規則や紛失/故障時の保証についてです。

受け取った際には何だろうと不思議に思ったのですが、後から理由がわかりました。

ターム1(1学期)の終わりに行われたスペシャル・サポート担当の先生とのミーティングで、そのことについて触れたのを思い出したんです。

 

 

 

息子は板書が上手にできません。

ファインモータースキルの問題もありますが、それ以前に「先生がホワイトボードに書いたもの」を「ノートに書き写す」という作業が、彼にとってはとても難しいものなんです。

その解決策として、授業の最後にラップトップ(息子の学校では、生徒ひとりに1台ラップトップのパソコンが貸し出されています)のカメラ機能を使ってホワイトボードに書かれたものを写真に撮り、それを家に帰ってから書き写す(もしくは私がパソコンでタイプしたものをプリントアウトする)という方法が試されることになりました。

これならば授業内という制限時間もありませんし、息子のペースでストレスを感じることなく行うことができます。

ところが、少し前に息子から問題が発生したという報告を受けました。

どうやらラップトップではうまく写真を撮ることができないようで、サポート担当の先生と四苦八苦していた様子。

担任の先生を巻き込んでのすったもんだの結果、最終的には息子にコンデジが与えられることになったようです。

 

 

 

ライティング(筆記)が苦手。

この言葉から、みなさんはどんなことを連想されますか?

指先が器用ではないため、字を丁寧に書くことができない。

頭の中で書きたいことをまとめることができない。

1枚の紙の中にきちんと収まるよう、文字の大きさや配列を調整する方法がわからない。

理由はたくさんありますよね。

これに板書が加わったら、どんなことになるでしょう。

先生の話を聞き逃さないように集中しながら、黒板/ホワイトボードを確認し、そこに並べられている内容を一字一字ノートに書き写していくという作業。

大抵の人たちは、誰に教えられたわけでもないのに、これを自然に行うことができるはずです。

でも、そんなひとつひとつの行動を、全て頭の中で意識しないと行動に移すことができないとしたら?

発達障害を抱える方々は、そんな『全部がマニュアル作業』の世界で生きていることも多いんです。

そして、この『苦手感』は、いくら書くことを練習したところで改善されるものではありません。

 

 

 

 

 

 

サポート担当の先生とのミーティングが行われた数週間後、今度は担任の先生との三者面談に出席しました。

担任の先生は、事前にサポート担当の先生と打ち合わせをされていたようで、板書に関する問題解決策についても熱心に話をしてくださり安心していたんです。

ところが問題はその後。

次に行われたサイエンスの先生との面談の中で、彼女から「とにかく(息子に)書く練習をさせてください」という一言があったんです。

それを聞いた旦那と私は「はい、わかりました」・・・とはお返事しませんでしたよ、もちろん。(笑)

サポート担当の先生と行ったミーティングの内容、そして直前の担任の先生との会話を説明し、「サイエンスの授業でも、ラップトップのカメラ(その時にはコンデジの件は出ていなかったので)を導入してください!!」と逆にお願いしてきました。

幸い彼女も快く受け入れてくださり、今後必要に応じてカメラの使用を許可していただけるようです。

 

 

 

少し前に、15歳でコーヒー焙煎士となった岩野響くんの著書をご紹介させていただきました(こちら)。

そちらと合わせて読んだ1冊に、響くんとご両親が書かれた『コーヒーはぼくの杖』という本があります。

その中で、中学校に行くことができなくなった響くんが『教育研究所』という場所に通い始めた時のお話があるのですが、ある先生からご両親に対し、家庭できちんと指導をしてあげれば中学校に戻れるし、高校に進学する学力だって必ず身につくはずだというアドバイスがあったことに触れているんです。

先生は、響くんの日誌が全てひらがなで書かれていることや、小学校低学年レベルの算数の問題が解けないことを指摘され、「ご家庭で教えてますか?」とか「もう少し頑張ってみてはいかがですか?」とおっしゃったそう。

お母さんである久美子さんも本の中で書かれている通り、「こういうこと」なんですよね。

日誌がひらがなで書かれていたり、板書ができなかったり、算数の問題を解くのに人の何十倍も時間がかかってしまったり・・・・・

これは、けして彼らが怠けているわけではありませんし、回数をこなしていけば、いずれできるようになることでもありません。

『先生』と呼ばれる方ですら、彼らが抱える問題が本当はどこにあるのかを、きちんと理解されているとは限らないんです。

そして説明が難しいがために、いくら私たちが本質を伝えようと努力しても、「練習させてください」や「頑張ってください」という一言で片付けられてしまうことも。

現状で人一倍頑張っている人に対して、「もっと頑張って!」と言えますか?

頑張ってもできないのに、これ以上何を頑張ればいいのですか?

「頑張れ」という言葉は、彼らを追い詰めることしかしません。

それならば、もっと他にいい方法が見つかるように、別のアプローチを試してみる必要があるのではないのでしょうか。

 

 

 

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幸い息子には素晴らしい先生がついてくださり、ハイスクールに進学してからも適切なサポートを受けることができています。

そのため学習面に関しての遅れは見られませんし、学校で劣等感に苦しんでいる様子もありません。

でも、もし息子が『普通』を求められていたとしたら?

他の子供たちが簡単にできることが、発達障害児にはどうしても無理なことがあります。

彼らが努力をしていないわけではありません。

頑張っているんです。

でも、できないんです。

なぜ?

それは脳の働きが健常者とは違うから。

私たちが無意識にできることでも、彼らにとっては難しいことがたくさんあるんです。

自由に歩くことができない方に対して「頑張れば走れるようになるよ」という人はいません。

手が不自由な方に対して「練習すればピアノが弾けるようになるよ」という人もいません。

それと一緒です。

脳の障害であるがために見た目では判断しづらいという理由から、「頑張れ」という言葉によって、私たちは発達障害者たちに必要以上のプレッシャーを与えがちです。

「こんな簡単なこともできないの?」という冷たく厳しい視線を受け、自分自身を責め続けている人々がたくさんいらっしゃいます。

だからこそ、まずはみなさんに知っていただきたいんです。

彼らには、頑張っても、努力しても、できないこともあるんだということを。

 

 

 

発達障害を抱える人たちへの理解が広まり、彼らが本当に必要とするサポートを受けられるように。

発達障害児たちが、学校での居場所を見つけられるように。

彼らが自己肯定感を失うことがないように。

大切な存在のために、私はこれからも時々こうしてブログで発信していきたいと思っています。

ここに綴ったことが、いつかどなたかのお役に立つことがあれば嬉しいです。