メディアにはいつだってなにだって、編集がつきものじゃないか。
検索性と一覧性という軸で語られることが多いけれど、
本当にその次元の話だろうか。
電子辞書が劣っているわけではなく、
電子辞書というメディア前提に編集された辞書があれば、
話はもっと違っていたと思う。
紙辞書側はその危機によって、
やっと自分がメディアを無意識に選び編集していたことを
気づかされたはずなんだ。
だけど気づいたところで、もうどうしようもないと諦めたんじゃないか。
キーワードは編集。
データでつくることで自分でがんばって守らなくても
コンピュータに記憶させればよくなった。
じゃあその整理可能な情報をどう整理するか、構造化するか。
なにとなにが等価でなにが違うのか、
情報のレベルが違うとしても表現として変える必要があるか、
構造化するのはいいが読者にとってルールが多くなってないか、
どう見せるか!
ただ情報を売っているんじゃない。
編集技術というプロの技、むしろ芸を売っている。
それに関してはウィキペディアとは比較しても意味がない。種類が違う。
電子辞書も、電子辞書をメディアとして扱える編集者がいたら、そして
その機能を十分に生かした編集を経た辞書がつくられるなら、
歓迎すべきことだし、私が二人いたら一人にはそれを担当させたいくらいだ。
それはメディアの誕生を手伝うことだから。
でも私は紙辞書を編集する。
ただ慣れているし、協力者がいることが確実だから。
今のところはそれだけの理由。
電子辞書という器はほんとは違う料理を盛ったほうがいいのに、
ひとまずきれいだから買っちゃって、でもま器としては使えるし、って感じで
だれもたしかにひどく悪いとは思わないんだけど、
なんだかしっくりこないなぁと思ってる。
そんな器にいつかぴったりの料理をのせてあげたいな。
とは思う。けど私には限られた時間しかないから、
紙の、日本語の辞書の編集技術を磨くことにかける。
たぶん数十年はかるくかかるだろうから。
それに、数十年それをやるだけでも価値があると思うから。