先生、ここ教えてください。
と生徒に質問されたとき、我々がやることの9割は「一緒に問題を読む」ことである。
一緒に問題を読めば、「あ!そういうこと?」となって概ね解決する。
しかしこれは、
問題をきちんと読みなさい。では解決しない。
一緒に読むというのは、読むときの間の取り方、抑揚などをサポートすることだが、問題は「なぜそれを一人でできないか?」である。
それは彼らが使用する日頃のコトバと、一般的に使用される言語とが乖離しているため、問題文を読んで意味を理解することができないからだ。
したがって「よく読んでも」理解できないので、問題をよく読みなさい。は、精神論の粋を出ない。
たとえば理科の実験がとても好きな人がいるとする。
しかしそこで起こる現象や興味深い実験結果も、言語化できなければ、その興味はそれ以上深くは進めない。
同じように何かに興味を持っても、言語化できなければそれを突き詰めて知識を深めることはできない。
コトバをなめてはいけない。
好きなことには興味を示す。というのは、初めだけのことで、それが長続きしなかったり、いずれ飽きてしまうのはコトバの力の弱さである。
その意味で、読書ほど将来のあらゆる方向にとって有効な準備はないと言える。