なぜ広告屋になったのか? | 福岡の小さな会社をロゴデザインでステージアップさせる。

なぜ広告屋になったのか?

大学へ進学するかと?考えていた

高校3年生のちょうど今くらいの1月頃に

担任の先生から

「お前の学力じゃ希望の大学には無理!」

こういうデザイン系の大学はどうか?

と進められたのが実はデザインを始めた

きっかけです。

どうせ3流4流大学へ行くなら、デザインの

方が面白そう!と思ったのが当時の私です。

今思えば本当親には感謝しかありません。

 

大学へ行くと勉強どころか夜のクラブでバイトを始め、

音楽やファッションや夜遊びなどアンダーグランドな

世界にどっぷりとはまっていきました。

 

 

休みの度に友人と企画をしてクラブイベントをし、

結構な集客数で人気イベントにまでなりました。

私の役割は、チラシやチケットの製作など。

この時が今の仕事の原点かもしれません。

 

こんな事を仕事にできればと思い、

就職活動は 広告代理店 に絞りこみ、

九州の主要な広告代理店は全て入社試験を受けに

いきました。当時は超就職氷河期と言われ、

どこも書類審査で落とされる中 たまたま面接まで

いったのが朝日新聞系のは朝日広告社さんでした。

面接でのハッタリが通用したのか見事に採用となり

いきなり長崎支社への辞令となった。

 

 

広告代理店といっても仕事の95%は朝日新聞内の

広告スペースを埋める仕事だった。

 

それでも初月から売り上げを叩き出し

同期ではトップの成績でした。

1年目の秋には朝日新聞の地方広告企画賞を

この「ごんあじ」の企画で受賞するまでになっていました。

 

正直広告の基本も何も解っていなかった新人の私ですが、

広告予算をとってくる才能だけはあったように思います。

 

当時私の担当していた小さなオープンしたばかりの居酒屋が

ありました。私も一人暮らしでしたので、よく食べにも行って

いました。私がお願いするとよく広告を出してくれていました。

今思えば小さなオープンしたての居酒屋が新聞の広告を何回も

出してくれるなんて! 費用対効果は全然なかったと思います。

それでも私がお願いすると広告を出してくれて

総額で200万円以上の広告費になっていました。

数ヶ月もしないうちにその居酒屋は潰れてしまいました。

私は顔も出せませんでした。 

すごく辛い気持ちにもなり、ウツ状態にもなり、

長崎にもいたくなくなり、会社を辞めることにしました。

 

 

 

もう一度きちんと広告を勉強しようと思い、

福岡の製作会社へ入りました。

パッケージデザインが私の担当となり、

今のロゴマークデザインの仕事へと繋がってきました。

 

 

時代とともに媒体はどんどん変わってきていますが、

広告という「広く告げる」という本質は

変わっていないように思います。

 

今の時代にあった最善の方法で

お客様の情報を「広く告げる」ことが

今の私の役割だと思っております。