気温差が大きいですね。
雨も心配ですね。
体調崩されたりしていないですか。
私は少し疲れたなあと思う日々でした。
膝に少し痛みがあり、ぶつけたからかなと思っていましたが、それだけではなさそうです。腰と膝は中学時代のスパルタな部活(ソフトボール部)にいて、痛めたので、時々痛みが出ます。
ウサギ跳びをしたり、部活中は水を飲んではダメとか。
熱中症という認識がなくて、夏の部活中に気分が悪くなったけれど、休憩していても「ズルい」ていう目で見られて。今思えば重症化しなくて良かったです。
ゴールデンウィークはいつもはよく行く宿泊施設に行くのですが、今年は夫の仕事が忙しく、ゴールデンウィーク中も出勤していたので、私一人では長男を連れて外出は難しいので、どこにも行かずでした。
2人の男の子の子育て中です。
長男:特別支援学校高等部3年生
自閉症スペクトラム
療育手帳(知的障害)重度判定
次男:居住地中学校3年生 支援学級所属
自閉症スペクトラム
療育手帳(知的障害)軽度判定
ちょっと不思議な子ども達との日々は良くも悪くも驚くことでいっぱいです。
そんな日々のことや時々高齢の両親のことなどを書いています。
少し前のことですが、母の日のことです。
老人ホーム入所中の母に面会に行ってきました。
個室ではあるものの荷物が増えると邪魔かなと思い、小さなカーネーションの造花の置物をプレゼントしました。
母の日といえば、私達兄弟は特に相談せず、それぞれプレゼントを用意していました。何故かたまにかぶることがあり、3人共がカーネーションの鉢植えを渡したり、3人共がスカーフだったり。鉢植えがかぶった時は流石に母に
「鉢植えではない方がいいかな。」
と遠慮がちに言われました。
最近は母な好きなお菓子を買っていました。
私が水ようかんを送ったら、次兄も水ようかんだった年もありました。
今思えば兄弟で相談した方がよかったですね。
母は優しくて、家族思いです。子どもの私達兄弟だけでなく孫達も母を慕っています。
うちも長男が生まれて以降、次男が生まれて半年になるくらいまで、当時70代の母に子育て手伝ってもらっていました。母の助け無しでは乗り越えられなかった時期です。
次男が生まれる頃には長男の障害の特徴も出てきていて、次男との生活に慣れるまで、なるべく長男の世話を私がして、授乳以外の次男の世話は夫か母にお願いしていました。
先日は孫(長兄の三男)が大きな液晶テレビを購入して、母の部屋に持って来て設置してくれました。他の孫達も面会に行っているようです。
母の退屈しのぎに、昔のビデオをダビングしたりして、持って行っています。
小さなテープタイプのminiDVも少しずつダビングしていたものの、22年前の母の70歳の誕生日のビデオはテープに破損があり、業者にDVDへのダビングを依頼していたのが出来上がり届きました。
皆若い。私も結婚前。
皆にコメントをもらったりして、当時は面倒くさいなと思われていたかもしれませんが、撮っていて良かったなと思っています。ダビングしたのを母だけでなく、兄達も楽しんで見てくれているようです。
頭はしっかりしているものの、転倒骨折後、現在要介護5になった母の元気な姿も映像にはあります。
今は月1回程度面会に行っています。面会の前に実家に寄り、父を誘って一緒に面会に行きます。
電車でも行くことは出来るものの1度タクシーで行ったら、私が払ったのに「高かった。」とブツブツ文句言っていました。
実家の近くに住んでいる長兄は両親の世話だけでなく、子どものいない父の弟の介護のキーパーソンにもなり、施設入所、病院への入退院、面会等、県を超えて行っているので、私や次兄が母の面会に行くことが出来る時は長兄に休んでもらおうと思っていました。
ところが、父は長兄に連絡し、送迎を頼んでいました。前日も叔父の病院の手続きで夜まで用事をしていたので申し訳なかったです。
それからは長兄の都合が付くからと父、長兄、私で面会しています。
申し訳ないなと思ってはいるものの、長兄もそのタイミングで看護師さんとの面談等を入れ、私も同席しています。
私と親子程の歳の差がある長兄は70歳。介護や医療の説明で、専門用語を並べられると???となるようで、私が同席して話を聞くことで心強く思ってくれているようです。
この前は母のリハビリの話で、PT、OT、STと出て来て、少し混乱したようでした。私自身は社会福祉士の資格を持っていて、少なくても兄よりは話は分かるので、メモを取りながら話を聞き、専門用語には解説を付けた報告メールをその場にいなかった次兄だけでなく、長兄にも送りました。
50代の次兄は会社でも責任の重い仕事をしていて、ほとんど休みのない状態で、私は障害のある子どもの子育て中で、長男はほぼ引きこもりに近く、私は自由に外出することも難しい状態。
長兄は3人の子ども達も独立し、夫婦2人暮らし。退職して年金生活。
「自分が一番時間があるから。」
と両親のことで動いてくれて本当に助かっています。