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躁うつ病と日々戦い続けるブログ

~生きることをやめたくないんだ~

今。



ロコモーションです。



今。鬱の波がきたので、この感情を文章にして手放したいと思います。



今。


涙が止まりません。


今。


吐き気がひどいです。


今。


今・・・



どれだけでもいかほどにもない他愛のないたったひとつの脳内が

困惑し恐怖を感じています。



心ってどこにあるの?


思考ってどこにあるの?



場所も分からなければ治し方もわからない。

だから受け止めなきゃいけないよね。



涙が出たがってるから解放します。


吐き気がひどいなら、吐くのは正常。


今が辛いなら、自殺を考えたいなら、そう考えます。


全てを受け入れてから、全てを整理しなきゃ。



その時間の間は全てを手放して、自然に身をゆだねます。


辛い時は辛くていいんだよね。


だって楽しい時は楽しめばいいのだから。


何度辛い事があっても脳や思考があきらめない限りは命の限り尽くします。



全てを受け入れなきゃ…


未来の時間を見ていますか?


ロコモーションです。



これまでの心境。

今の心境。


これまでの環境。

今の環境。


これまでの思い。

今の思い。


色々あり、あった中で、未来を、明日を感じなくなってきました。


感覚が麻痺し始めて、徐々に自分が機械の部品に思えてならず、

朝起きる事が、電源ON。寝る時が電源OFF。


と。


それすらも故障し始め、電源がいかれたように朝起きれなくなり、

夜眠れなくなり、昼間は何もする気力がなくなり、

欠陥品として社会から捨てられる結果に至り、今があります。



もし。


この時に、あの時に、明日を見て、機械にはない感情を表し、

未来を達観した目で勝手に見据えたり、夢を捨てなければ、

今と言う時間はパラレルワールド的に変わっていた事でしょう。



経験者は語ってみます。



明日を見てください。

明日に希望を持ってください。



明日に希望を持つという事は、簡単な言葉に聞こえますが、

方法はあると思うんです。


例えば、明後日の自分を想像してみてください。

その上で、明日の自分のすべきことを考えてみてください。


明後日の自分を想像できるようになったら、

今度は一週間後、一ヶ月後、半年後、一年後と、

自分を想像してみてください。


会社や社会にはルールがあり、法律がありますが、

最低でも想像は自分だけの「自由」だと考えております。



そこから、「考えて」ください。

そして、「行動」してみてください。



想像を膨らまし、想像の点と点を結び線を作り、

線を構成して、面を作り、光と影に向き合い、

三次元という現実のものとしてみてください。



想像だけは自由なんです。

基本的に想像は誰にでもできるように人は作られています。



もし、出来なければ。


「憧れ」を持ってみてください。


子供の頃は、夢があったはずです。

幼き頃は、“生きる為”ではなく、“楽しむ為”に動いていたと思います。



今だってきっと想像だけでもできるはずです。


もう一度思い返してみてください。


子供の頃を。無邪気な生き様を。笑いたかったあの頃を。



過去の時間を憶えてますか?


ロコモーションです。



今回は、過去の。


スペックついでに生い立ちの一部を晒します。




結論から言えば、毎日喧嘩して、

毎日泣かされ、毎日泣かしてきました。

そして、俺は虐め側と、虐める側に立ちました。



始まりは、幼稚園の頃です。


気に入らない同級生に喧嘩を売り、見事負けました。


その後、喧嘩相手が同じ小学校、同じクラスとなり、

毎日泣かされていました。


大げさな話ではありません。

本当に毎日の出来事でした。



〔後から(クラスメイトから)聞いた話だと、朝俺を泣かすまで虐める事が、

日々の儀式だったそうです。〕



小学校1~2年まで、毎朝涙を見せる事が日課でした。



と、ここまでは被害者面ですね。



そしてある時から、虐め側にもなっていったのです。



幼き日に虐められたことのある方はいますか?



それはきっと支配者の単なる鬱憤のはけ口です。支配への喜びです。


とても辛かった事でしょう。

とても惨めだった事でしょう。

とても死にたかった事でしょう。

とても殺したかった事でしょう。



話を戻しますが、俺は、毎日泣かされに登校しましたが、

小学3年の頃から、俺にも力(筋力)がある事に気付き、

身代わりを立てたのです。



そうです。


虐めっ子には勝てずにいた鬱憤を(腕力による)弱者へぶつけ始めたのです。


それでも強者は喰らいます。

毎日、休日祝日連休以外の朝に泣かされる儀式は続き、

同時に弱者への攻撃も止むことはありませんでした。


俺の小学校生活6年間はこうして過ぎ去ったのです。



「虐めはよくない。」



わかってんよそんなもん。



俺は強者でも弱者でもなかった。

かと言って、普通でもなかった。




そして中学生となり、とあるきっかけで虐めも、虐められもしなくなりました。


そのきっかけが全ての自分を変えました。



それは兄の死でした。



今回は中略しますが、結果的に、人の痛みが少なからずわかる人間となり、

無礼や横柄な輩に憤りを感じる人間へと育ちました。


そして同時に、自分を痛めつけていたことを知り、

未来が、明日が見えなくなる程に至りました。



虐められる人生を知ったからだけではありません。


虐める側の人生も知ってしまったから。



人生は弱肉強食だけではありませんが、ひとつ見つけたものがあります。


それは、



「信念」



です。


この歳になってやっと意味が分かりかけてきました。

だれもがそうとはいいません。

そしてこの世から虐めもなくなりません。


大人が虐め(戦争)をしている限り。



だからこそ、信念を持って欲しい。


自分が何者でどうあるべきかを。


人は本当に、弱肉強食ではないことをあなた自身で示してください。









さて今日は、ちょっと重い話かもしれませんが、



「死にたい気持ち」


についてです。



何回もありました。



今現在は安定しておりますが、その時は突然とくるもので、

何もないのに涙が流れ、声を出さないと気が狂いそうになります。


突然、床に這いつくばり、号泣し、



「もういやだ・・・もういやだ・・・助けて・・・もう・・・も・・う・・・・」



と言った具合です。


完全にいっちゃってますねw


危うくあの世まで行くところでしたが、これもまた突然おさまるのです。


勿論、時間はかかります。



短い時では5分ほど。


長い時では2時間ほど。



今度またいつビッグウェーブが来るかもわからない心境で、

夜も眠れなくなり、食欲もなくなり、無気力というか、放心状態になります。

(放心状態:考えることをやめないと、またあの狂った感情がこみあげてくるから)


なので、結局のところ1~3日間は気が重いままの状態にはなってしまいます。


不幸中の幸いとしては、ダイエットができるくらいですね。



「死」


についても、考えなければなりません。


何も考えずに「死」を選ぶ人はいないと思っています。


なぜならば、先ほどのように、


「もういやだ・・・」


と考えているからです。



つまりは現状の環境に馴染めず、逃げたい。


よく言えば、環境を変えたいという気持ちから来ることが、

かずある理由のうちの一つではないかと思っています。


よく他人は言います。


「死ぬ勇気があれば・・・(云々)」


これは違います。


死ぬ勇気とは、そもそも“勇気”ではないからです。


食べ物を買う時に、「今日は何を食べようかな?」と思うような“選択肢”なだけなのです。

若しくは単なる“勢い”です。


なので、同じように死にたくなる方。


勇気ではなく、選択肢を間違えないでください。



そして選択肢を増やしてください。



無論簡単に言いすぎてますが、選択肢を増やすには、

一人分の脳では限界があります。


つまり相談相手を増やしてください。


選択肢が無い人は先ずここから始めてもいいものだと思っています。


皆さんこんにちは。


ロコモーションです。



さて今回もうつ病奮闘日記として、書かせて頂きますが、


先ずお知らせがあります。


それは、



会社を辞めました。



20年間のサラリーマン生活をやめ、新しい第一歩をと願ったのですが、


やはり、うつ病。


なかなか手ごわいもので、なんにもするきになれません。



しかしながら日本の三大義務として、労働、納税、教育をやらんと食べていけません。


暫くは、このまま何もしたくないのですが、気を引き締めて、


自分の本当にやりたいことを見つけるところから始めたいと思っています。



言葉だけ、前向きです。



20年間のサラリーマン生活が身になじみ、いざ平日に休みがあると、

何も考えられないものですね。


それでも前に進まなきゃいけないのは人生の掟。


生きてられる以上は、さっさと「次」に踏み出せなくてはいけません。


やっと自由になれたのに。でもです。



本当の自由とは、本当の孤独。



今はそうとらえております。


同じ病気に悩んでいる方。


なんでもいいのです。


「何か」をはじめましょう。



でないと、うつ病なんて生易しいものではなく、廃人になってしまう。


それこそ本当に取り返しのつかない事になる。


多分、自殺してしまうだろう。



今の俺にはそれは駄目だと思える思考がまだ虫の息で生きている。


自分を虐めない為にも、そこから救済し、抜け出す力を養う必要があると嫌でも刷り込ませる。



誰だって、嫌な事からは逃げ出したくなるもの。


休職中に何度も考え、無駄に時間を費やしたのかもと後悔をしている。


またあの時の虚無感。何もしていないのに疲れる心の疲労感。


脱力感。物事への興味が徐々に薄れていく閉鎖感。



でも今は生きている。五感も息をしている。


うつ病が悪いんじゃない。


うつ病を悪化させる事が悪い事なんだ。


お金は最低限あれば生きていける。


心の病気は無関心・無感動。



たまにはでいい。


ほんの少しでいい。


心を動かす感動を皆にも味わってほしい。


こんにちは。


躁うつ病奮闘日記として、初めて書かせて頂くロコモーションです。


どうぞよろしく^^



スペックはプロフィールの通りですが、

躁うつ病には、過去二度なっており、

二回目が、現在進行形の今です。


最初は、5年くらい前かな。


業務の多忙さに、パニック症状がおこり、

動悸息切れ、ふらつき等など、


「これはやばいかな?」


と思い、病院(心療内科+カウンセリング)へ行き、

数カ月、ある種の闘病生活を送りました。


しかしながら、カウンセリングの方とどうも話が合わなくなり、

途中で、フェードアウトして、心療内科も薬の依存が怖くなり、

途中でやめました。


その後は数年間特には問題なく会社で仕事をしてきましたが、

再度の多忙ゆえ、およそ二年くらい前からまた脳内にバグが発生したかのように、


「こりゃやばいだろ。」


となり、再度心療内科へ行くことになりました。(別の病院です)



そして今。



だいぶ良くなりつつもありますが、心と脳内と身体のバランスが崩壊している気持ちでいっぱいです。


いつ治るか最初は色々考えていましたが、二年も経てば、考え方も変わるものですね。


「いつ治るか?」


ではなく、いつ何かを始めるか。


と、なり。


鬱を背負って今できることを考える日々へとなりました。