高崎で神社やお寺以外で楽しみにしていたのが、ここ。



 

ってか、税理士事務所の看板と合体しちゃってるんだけど、どうにかならなかったのかな?(笑)

 


住宅街にある小さな美術館だったけど、好きな人や興味ある人だったら1時間くらいは余裕で楽しめると思います。

 

館内の撮影は、このエントランスのタペストリーだけOKとのことでした。



 

正直、自分もそんなそんな詳しかった訳ではないです。

 

そもそも亡くなったのが1977年で、僕が生まれる前に既に亡くなっていたことを今回美術館に足を運んで知ったくらいなので・・・

 

ただ、高校生の頃にBOOWY関連の本を読んでた時に、名前を知って、氷室さん・松井さんと同じ小学校、中学校だったってこと、あとは17歳のときに部屋でエレキギターを弾いている時に感電死されたってことくらいか。

 

ただ、詳しく知りはしなかったけど、結構山田かまちさんって名前は世間では知られていると思っていたけど、それは僕ら以上の年代にであって、今の若い方にはほぼ知られていないのかもしれません。

 

僕のこれまでの印象だと、どちらかというと詩人的なイメージで思っていたんだけど、作品のほとんどはかまちさんが子供の頃から描かれていた絵が中心でした。

 

絵が上手いのはもちろんだけど、その題材の選び方というか、特に中・高校時代に描く対象がちょっと僕らの同じ時代と比べたら、ネクスト・レベルのものを多く描かれています。

 

作品の中に、当時好きだった女性に対する思いをノート2ページに渡って綴ってあるものがあって、清々しいほどにストレート、いい意味でもらった相手の気持ちなんか1ミリも考えないくらいに重い・・・(笑)

 

自分の高校生時代と照らし合わせて、『わかるなぁ・・・この気持ち』。

 

17歳というと、高校2年生。

 

この時期ってさ、振り幅の違いはあれどみんながみんな、ある程度多感な時期じゃない?

 

それを何かしらで表現する・しない、まぁ、できるできないってのが既にそれが才能ではあるんだろうけど、大人になったかまちさんの作品を見てみたかったなぁ・・・というのが本音かな。

 

20代、30代、社会人になってから、どんな作品を作られたのか。

 

そもそも『どんな作品を作られたのか』なんて自分も書いてるけど、山田かまちさんの場合、多分亡くなったあとに自分が描いた絵や綴った文章が、まさか美術館のようなところで人の目に触れるとは思ってなかったし、なのでそれらのものは『作品』って意識は、そんなになかったと思います。

 

まさか自分が好きな女性に対して思いを綴った文章が、他人に見られるって、それはそれでちょっと・・・ねぇ。

 

いや、何を言いたいかというと、間違っても否定的に捉えては欲しくないんだけど、要するに山田かまちさんって、いわゆる生前は無名で死後に評価されたりして有名になった『アーティスト(芸術家)』とは違うと思うんです。

 

アーティストは、いくら無名だろうがなんだろうが、あくまでも『作品』と意識して何かを製作しているとすると、かまちさんの場合は、いわゆる普通の未成年の子供、学生が残したものを周りの人がそれらを『作品』として死後に発表しているので。

 

もちろんかまちさんの才能なら、詩人なのか、イラストレイターなのか、それともロック・ミュージシャンとしてなのか、なしかしらの形では世に出ていたとは思うけど、もしかしたら『普通の社会人』になられて、世には知られなかったかもしれない。

 

なので、『したらば』はないけれども、大人になった山田かまちさんの作品を見てみたかった。

 

そう思わされるほど、17歳までの山田かまちさんの個性とその表現は、強烈でした。