苦しいこと、楽しいこと、そして人間 | ココロカロク〜医療に従事して約30年✖️仏教の学びから綴るほーりーのブログ〜

ココロカロク〜医療に従事して約30年✖️仏教の学びから綴るほーりーのブログ〜

医療の現場で働いて約30年。様々な方々と接してきました。
障がい、認知症、超高齢化…それらとどう向きあっていかなければいけないのか?
学んでいる仏教の智慧も交えながら、心を軽くする、喜びや向き合い方を綴ります
*2024年 中央仏教学院 入門課程修了

大切な人を失っても

 

全く悲しくないのなら

 

人間である

 

意味ってあるのか

 

 

照れ照れ照れ照れ照れ照れ照れ照れ照れ照れ照れ

 

 

『苦しいことは

 なるべく避けて…』

 

 

『楽しいことだけ

 あればいいのに』

 

 

 

そう思って

生きていた時期がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『苦』を感じないようにするには

目の前に起こる事象を

極限にまで『客観視』して

 

 

自分とは別世界の出来事のように

視覚的に『映る』ものの

 

 

何も感じなければいい。

 

 

 

 

 

五感は『苦』生むし

『愛』や『執着』

『老い』や『死』も

 

 

すべて

『苦』につながります。

 

 

 

 

 

 

 

 

『苦』を感じたくなければ

それらを意識しない

究極の『傍観力』を身に付ければいい。

 

 

 

 

 

 

『悲しみ』や『怒り』を含めた

『苦』のない世界

 

 

同時に

『楽しみ』や『喜び』もない

 

何もない世界

 

 

 

 

 

 

でもそれって

 

生きてる意味あるはてなマーク

 

 

 

image

 

 

 

目の前の事象に

体中が歓喜したり

 

どん底まで

打ちひしがれたり

 

自分を見つめて

志を期したり

 

人の役に立てたことを

誇りに想ったり

 

 

 

 

そんなふうに

ときには笑い

ときには涙しながら

 

 

1つ1つを自分の糧にして

またひと回り成長して

納得できる自分にする方が

 

 

よっぽど 人間らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『不安』や『心配』ってのは

『苦』の原因になり得るんだけど

 

人間ならばあって当然

 

 

 

 

 

むしろ

 

『苦』を『苦』と感じるから

 

『人間』立ち上がる

 

 

 

 

 

 

 

 

『苦』を『苦』としてではなく

自分の成長の糧として

受け止められたら

 

とても素晴らしいんだけど

 

 

 

 

『苦』を感じてしまう心は

やっぱり人の中にあるから

 

 

それはそれで

生きてる証拠だし

 

 

成長の余白が

あるってことだし

 

 

無理やり滅するのは

やっぱり大変だし

 

 

 

 

 

『苦』は『苦』として

自然とそこにあるモノとして捉え

 

 

『苦』を感じている

自分の感情に気づいて

 

 

うまく付き合っていくのが

一番得策かもデレデレ

 

 

 

 

 

 

 

 

あるがままに

ありのままに

 

 

あなたは

十分に素晴らしいのだから