『自力』でも
『他力』でも
やっぱり
生かされてるって
すげー![]()
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仏教と出会い
浄土真宗を学ぶ中で
1つ
感じることがある。
考え方が
暗くない![]()
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浄土真宗に限らず
『浄土門』と言われる
浄土宗・時宗なんかも
そうなのだろうけど
基本的な姿勢は
『他力本願』
すべては
私たちを生かしてくださる
阿弥陀仏にお任せし
自分は
今の自分を
しっかり生きる
というもの。
その手段が
念仏だったり
信心だったりするので
それぞれ宗派が違う。
『浄土門』は
『他力』の仏教
まず
自分には欲や愚かさが備わっており
煩悩のかたまりで
『こりゃ
どーしようもねーわ』![]()
そういう自分に
気づくことから始まる。
そういった
欲や愚かさがあるから
自分が苦しく
生きることが
辛くなってしまう![]()
そんな
自己反省(猛省)から始まるから
何か暗くなっちゃうんだけど![]()
『そういう自分でも
いいんだよ』![]()
って、言ってくれるんです。
欲があり
時に人をうらやむ愚かさを持ち
執着心を拭えない
そんな自分でも
阿弥陀仏は
生かしてくださる。
せめて
少しでもマシに生きられるように
ちょっとくらいは
自分にできる善行を
やり続けてみよう。
煩悩具足の私を
見捨てることなく
生かしてくださっている
阿弥陀仏の
なんとありがたいこと。
すべては
阿弥陀仏にお任せします![]()
私は私の
できる限りのことを
させていただきます。
『生かされてるって
ありがてーなー』![]()
『他力』とは
『阿弥陀仏の力』
それに気づいて
報恩の念仏
『南無阿弥陀仏』を
唱えさせていただいています![]()
一方
『自力』の仏教は
『聖道門』といって
山伏の格好で山の中を何日も歩いたり
念仏を唱えながら滝に打たれたり
護摩を焚いたり
座禅したり
自分の力で
悟りへとたどり着こうとするもの。
天台宗・真言宗・華厳宗
各種禅宗などが
それに当たります![]()
人には
もともと仏性が備わっていて
それを妨げている
貪欲や煩悩、愚かさを
修行で取り除き
本来の自己に戻る。
それが『聖道門』の考え方。
自分を律し
ただひたすらに
事に尽くす![]()
その中で感じる
様々な苦悩や苦痛
忍耐・我慢
何日もの間
山の中を歩く足
それらを支える身体・臓器
山の恵みや太陽の光
水
米や麦などの五穀を断つ
『五穀断ち・塩断ち』
9日間の
断食・断水・不眠不臥の行である
『四無行』
そんな極限状態の中
変化に対応しようとする
身体の不思議
『四無行』の途中で許される
うがいの時に沁みる
水のありがたさ
あたり前が
あたり前でなくなる瞬間
生命の力強さ
生かされていることへの感謝
そういったモノが
肚から理解できるのかもしれない。
『聖道門』も『浄土門』も
『自力』も『他力』も
『やっぱ
生きてる
生かされてるって
すげー![]()
ありがてー
』
そこへの気づきの
一手段なのでしょう![]()
行きつく場所は一緒だけど
その手段が違うってことなので
どちらがいいとか悪いとかはないけど
どちらも素晴らしいと
偉大なる先人に感謝です![]()



