私たちが生きるのは
『絶対的』に
『幸福』になるため![]()
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以前のブログで
心理学者マズローさんの『欲求5段階説』
について触れました![]()
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最終的には
『自己実現』や『自己超越』ってのが
最終的な欲求ということでした。
人はそのために
生きているのでしょうか?
自分の可能性を広げ
他者の役に立ち
貢献できれば
自己肯定感も上がるし
この上ない幸せを感じることでしょう。
でもそれは
永遠に続くものではなさそう。
『諸行無常』という言葉があります。
この世のものは全て移り変わり
何1つとして
常に同じ状態で存在し続けるものはない
ということ。
私のこの身体も
毎日変わっています。
思考だってそうだし
心なんかは
1日にうちで上がったり
下がったり![]()
それはもう大変な移りようです![]()
私たちの求める『幸せ』の多くは
『相対的幸福』と言われるものです。
意中の相手と結婚して
子宝に恵まれ
小さいながらも明るい家庭を築く。
美味しいものを食べたり
時には素敵な場所へ旅行したり。
目標を達成して
充実感・満足感を感じ
周りから尊敬の眼差しを受ける。
一見
『幸せ』を手中に収めたかに見えます。
でも、それは一時のこと。
幸せな家庭は
努力次第で続きますが
いずれ子どもたちは巣立ち
自分は年老いていきます。
美味しいものは食べたら無くなるし
旅行も思い出としては残るものの
帰宅すれば現実が待っています。
目標を達成すると
また新たな目標が掲げられ
そのサイクルは
働いているうちは、ずっと続くもの。
そう。
全ては『相対的』
つまり
対象とする相手やモノがあって
初めて成立するんですね![]()
では、『相対的』に対して
『絶対的な幸福』はないのだろうか?
一生消えない
得られたら離されることのない『幸福』
老いや病を経ても、消えない『幸福』
そんなものって
あるの?
あるんです![]()
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私が今、学んでいる浄土真宗では
それを
『摂取不捨の利益』
『無碍の一道』と
言われています。
私たちは煩悩にまみれて
生きています。
よりよい生活を求め続けるし
時には人をうらやんだり
自分を蔑んだり
他の人から認められたかったりします![]()
それは、生きている以上
おそらく消えることはないでしょう。
かなり気を付けていても
心の片隅で
ふと生じる
頭をよぎる
ことがあるのではないでしょうか?
それらを完全に滅せられたら
その方はすでに
『ブッダ』になられているお方です。
それはとても素晴らしいことです。
私にはどうもできそうにありません![]()
人を助けたいとか
周りの人のために
役に立ちたいと思うこともあれば
人を羨ましがったり
人から認められたい心が
いつもあったりします![]()
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得られないモノを求めたり
時にはお酒を飲みすぎたりもします![]()
何とも、愚かな自分。
しょっちゅう、こんな自分が嫌になります![]()
でも
こんな私でも生かされています。
まだ、死んでないから![]()
どうやらこれも『縁起』だそうで
時間的・空間的な超複雑な繋がりにより
私は生かされているのです。
煩悩にまみれた、私が。
他者をうらやんだり
蔑んだり
自分の欲求を抑えきれない、私ですら。
『縁起』によって
生かされているのです。
何だか申し訳なく
でも『ありがたい』。
どこからか
感謝の気持ちが溢れ出てきます![]()
そんなとき
『南無阿弥陀仏』
と唱えたくなってしまうのです。
感謝の気持ちを
その『縁起』に伝えたくて。
こんな私を生かしていただき
ありがとうございます。
おかげで
阪神の優勝が見れました![]()
おかげで
家族と登山や旅行に行くことができました。
素敵な花々や草木
景色たちにも出会うことができました。
こうやってブログを綴り
皆さんに見て頂くこともできています。
この『縁起の法』を学んだとき
初めてそう思えました。
これが、『絶対的幸福』なのか?
いつ病に倒れるか分からない
いつ死ぬかもしれない
欲にまみれた私が生かされている。
そのことが腑に落ちたとき
溢れてくる感謝が『絶対的幸福』?
これが正解かは分かりませんが
今の私は
その『縁起の法』に恩返しできるよう
生きています。
まだまだ精進は必要ですが
一方で
これで十分
という気もしています。




