ラスト・カスタマー

きょう最後の客は 近所のスナックのお姉さんが我が店に注文したおにぎりを取りに来た際そのお姉さんがうちの店の従業員だと勘違いして入ってきたおじさんでした。で、「さっきのねえちゃん出してくれよ」って言うの。あんね、おじさん。もっとよく観察しなきゃダメだよ。あの子はうちの子じゃないの。近所のスナックの子なの。ほいほいつられて来たのはいいが、男一人でやっている店で女の子を期待しちゃったおじさん、ご愁傷様。でも最近の若いもんはなっとらん話で盛り上がれたからいいかw

15歳位の頃、あるアメリカの前衛音楽家の演奏会と、それに続く講演会を見物しに行った。
アメリカの音楽家は、ある条件下でしか演奏できない非常に金の掛かる作品を作曲した事を発表したが、同席した高橋悠治はその話を聞いて激怒し、ブルジョアジーの享楽に音楽を使うな!と叫ぶとステージを降りて帰ってしまった。
アメリカの音楽家は、何故彼が怒ってしまったのか理解できないと言った。金は掛かるけど、それはとある財団が負担してくれるので、聴衆の負い目にはならないのだ、と。
何だか俺も場の雰囲気に気分を害したので退席し、会場の外に出た。
我慢していたトイレに行くと、高橋悠治もそこに居た。
二人並んで無言で用を足していたが、俺は我慢ならず彼に声を掛けた。

「ブルジョアは嫌いですか?」

すると高橋悠治は

「そうだね・・・ 今日はそんなのが問題じゃなくて、早く家に帰りたかったんだよ」

と答えた。




時が過ぎ、俺は20歳になっていた。
たまたま通り掛った早稲田のあたりで、学生がビラ配りをしていた。
そこには「高橋悠治と水牛楽団」と書かれていた。
早稲田大学の構内で彼のコンサートがあるからいかがですか?という事らしい。
期せずして高橋悠治とその仲間たちの演奏が聴けるとあって、俺は嬉々として構内に進入し、開演を待った。
楽団のメンバーと共に高橋悠治が入場した。久しぶりの高橋悠治だった。
演奏を始めてしばらくすると、どこからとも無くラテンのビートが聴こえてきた。
高橋悠治は楽団の仲間に合図をおくると演奏を止めた。
しばらく無言状態が続いた。
それでもラテンのビートは収まらず、彼は我慢出来なくて付近に居た早稲田の学生に言った。

「あのやかましい演奏をやめてもらうように言ってきてくれないかな。じゃないと俺たちが演奏出来やしない」



お盆時期の酷暑の中、あてども無い営業活動を続けていると「俺何やってるんだろう」と、自分の存在に疑問を感じてしまう瞬間も間々ある。
終点の見えない、完成形の想像出来ない、漠然とした不安だけが募る自我。
世間は夏休みで、街中は異様にひっそりとしていた。
こんな中、営業活動をしたところで、素晴らしい契約が結べるわけでもないだろうに、でも俺たち下っ端営業マンは、成果の無い以上、休むわけには行かなかった。



あまりの暑さにのどが渇き、道すがらの公園の水道で水を飲もうと蛇口をひねる。
太陽が照りつける。照りつける。
誇りっぽい地面に飛沫が飛び散り、たっぷりと水を吸い込み黒いシミになる。くっきりとしたコントラストだ。
息つく間もなく水を大量に飲み、呼吸の為に天を仰ぎ見ると、日光のまぶしさにくしゃみが出た。
背中をつたう汗の感覚がそうさせたのか。
ツーンとした後味のまま、しばし天に目をやっていると、ひとひらの蝶々が飛んでいるのが見えた。
俺の周りをグルグルと飛び回る蝶々。俺の周辺から離脱しようとしない不自然な挙動の蝶々。
羽はふちが黒く、中央が青い。最近はアゲハ蝶よりも、この蝶を良く見かける。
ふと地面に目をやると、同じ種類の蝶々が黒いシミの部分に着地しており、なにやら水を飲んでいる。
頭上の蝶々、足元の蝶々。
ははーん、この二匹は恋人同士なんだな、きっとそうに違いない。
地面に着地し、水をすすっていた蝶々が飛び立つと、空中のもう一匹がその後をついて行った。
二匹の飛び方はまるで婚礼パーティの輪舞だった。
夏なんて短いのに、よくこそあの二匹は元気に踊るものだ、たかの知れた短い虫の命なのに、と、先ほどまでの重苦しい気分から開放された俺は、先の不安に身を投じる事の無意味さにはたと気付いた。
蝶の輪舞のおかげだ。
今を一所懸命生きている。
よし!
俺も歩き出そう。



行く先々で蝶を見る。
外回りの営業を始めてみると、これまで外に出ていなかった分、蝶の存在が気に掛かる。
夏とはこれほどたくさんの蝶が飛んでいたものだったのだろうか、と改めて感じる。
きっと違うのだろうけど、思い過ごしかも知れないけれど、彼らは俺に「がんばれ!がんばれ!」と、か細い声で声援を送ってくれている様で嬉しい。
彼らの存在が嬉しい。
大洋を行く船の前を踊るように進むイルカの群の如く俺の周囲を飛びながら、俺の歩みとランデブーする蝶たち。
お盆時期という事もあり、それらの飛行は、遠い先祖や志半ばで失われた親しかった者たちの魂、遠い誰かの案じる気持ち、そんなイマジネーションで俺の中に入ってくる。
入ってくる。
取るに足らない小動物たちは、俺をしてもうちょっとがんばって歩いてみようという気持ちを揺り動かす。

嫌いの裏側には「わからない」がある。
こいつを攻略すれば「嫌い」の要素は減って行く。
わかりさえすれば何も憂う事は無い。
やっかいなのは、嫌いだと思うからこそめんどくさい、でも語りかけられたら反応しなくちゃと思ってしまう、ちょっと成長しかけの宙ぶらりんな感覚だ。
ああ、厄介だな、と思いながらも、そいつと話していると「嫌い」の向こう側から ちょっとだけ「ワクワク」が見えて来る。
この「ちょっとだけ」ってのが厄介の原因で、ズバリと自分の目の前までワクワクがやって来てくれればいいものを、中途半端に近付いたと思ったら「しゅわしゅわしゅわぁ~」っと遠ざかって行く。
まあ、そんな「厄介だな」の連続が「嫌い」を「好き」に変えるのだから、我々はやっぱりいろんなガマンをしなきゃならん、って事なのかな。
ガマンが嫌なら突き放してバイバイすればイイだけの話なんだけど、それじゃ勿体無いと思うからこそガマンして「嫌い」を「好き」に変えるんだ。
それって大事だよね。
頭のいい人なら「わからない」の大元をすぐに理解して、消化して、短時間に昇華させるのだろうけど、大抵の人は馬鹿だから、「嫌い」から抜け出すのに時間が掛かるのだ。
いくつになっても好き嫌いが激しいのだ。
夏目漱石の言うところの「とかく人の世は住みにくい」ってのはコレなんだよ。
◆一番古い記憶はベビーベッドの中から見た光景です。ベビーベッドには蚊よけの網が覆ってありました。その網の向こうから母、父、叔母と誰だか分からないおじさんが それぞれ僕に話し掛けながら皆で覗き込んでいました。この人はおかあさん、この人はおとうさん、この人はおばさん、ときちんと判っていたと思います。もう一人のおじさんは誰だったのか判りませんでした。




◆次に古い記憶は おとうさんのこぐ自転車の前カゴに乗せられて灼熱の砂利道を走った記憶です。身動きが取れず、とても苦しかった。その後気を失ったこともよく覚えています。




◆物心ついた頃から夢想家で、日がな「心臓はどうして鼓動を打っているんだろう」とか「あの空のずーっと彼方には何があるんだろう」とか取り留めの無いことばかり考えていました。なんで人って居るんだろうとか、まあそんな類のことです。




◆4歳の頃、おとうさんがステレオとクラッシック全集とか言う音楽の百科事典を買ってきました。もともとおとうさんもおかあさんもグリークラブの出身です。音楽好きな両親でしたので、クラッシックを聞く機会はとても多かったのです。おとうさんに聴かされたモーツァルトの交響曲第40番はとても衝撃的でした。さっきまで友達と遊んで楽しい気分だったのに なんだかとても重たいものを感じました。音楽のすさまじさを知ったのはそれが初めてだったと思います。音楽家になりたいと思いました。





◆初めての家出は4歳頃でした。弟が出来て皆が弟をかわいがるものだから、僕はもういらないんだ、と拗ねてしまったのです。よくあることですね。宝物のように大事にしていたブリキ缶の手提げにパンツをいっぱい詰めて 家からせいぜい50メートルくらいの距離をぶらぶらしていました。街の人や家族は真剣な僕の気持とは裏腹に、微笑みながら手を振っていました。なんでパンツを持って出たのかと言うと、生活に必要な物の中ではナンバーワンだったからです。




◆見える景色がぐにゃっとゆがむのをよく見ました。全部がゆがむのではなくて一部分だけです。また、部屋の中が風船のようなシャボン玉のようなもので満たされる様もよく見ました。息を吸うとタマは無くなり、息を吐くとタマで埋め尽くされるのでした。





◆自分の見ている世界と他人の見ている世界は違ったフォルムで見えているのではないかと疑っていました。何故ならば、うちのおかあさんはとても美人に見えるのに、友達のおかあさんはお世辞にも綺麗には見えなかったからです。





◆おかあさんは僕がやる事為す事を理解しようとしてくれませんでした。弟が生まれた頃、僕はおもらしをしてしまいました。したくてやった訳ではないのですが、おかあさんは烈火の如く怒り、はたきで何度も僕を叩き、全裸にして外に放り出しました。その日からウンコはしちゃいけないんだと思い、ウンコを出さないようトイレに行くのを我慢しました。





◆またあるとき、鳥がたくさん飛んできたらさぞかし綺麗だろうと思い、米びつに入っている米という米を近隣の道路に撒き散らしました。道路が白く見えるほど大量に撒きました。その時も家に入れてもらえなかったと思います。お隣のおじいちゃんがビックリしていた顔を今でも思い出します。鳥が来る様が綺麗と言うよりも、道路が白くてきれいだった事をよく覚えています。





◆学校の先生の言う事を疑っていました。図画工作の時間、水彩絵の具を使う僕らに先生はこう言ったのです「紫色はきちがいの色だから使ってはいけません」ってね。紫色が大好きだった僕は、自分がきちがいじゃないことを知っていたので、先生の言っている事は間違いだ、と確信していたのです。
ひょっとしたら僕の知っている紫色は先生の知っている紫色とは別の色なのかな?と疑ったりもしました。





◆学校の先生の言った事はいちいち覚えていました。いい事も悪い事も。ある日先生に呼び出され、正座をさせられました。そして「あんたみたいな変わった子、あたし大嫌いだからね!普通になりなさい!普通じゃないと乞食になるんですよ!」と怒鳴られました。僕は変わったことをしていたわけではありませんでした。ただ興味が湧いたことを(一応回りの迷惑にならないよう考えながら)実行していただけだったのです。三十数年後、先生は僕の店まではるばるやって来て、当時の事を涙ながらに謝罪しました。先生も忘れられなかったそうです。





◆勉強は大嫌いでしたが学者の類にはなりたかったです。





◆小学校中学年から高学年にかけて、よく深夜のラジオを聞きました。流行っていましたね。僕のお気に入りはラジオ劇場の「ブラックジャック」や「マカロニほうれん荘」などでした。そのあとに始まるマガジンGOROプレゼンツ「スネークマンショー」も欠かさず毎日聞きました。毎日違うネタで僕を笑わせてくれるなんて、桑原茂一という人はすごいな、と思っていました。





◆おかあさんから「女性とお年寄りには優しくしなさい」と教え込まれていたので、学校でも女子には優しく接していました。それがもとで男子の一部からはいじめを受ける羽目に遭いました。でも自分がやっていることは間違いではないと確信していたので日和らずに自分のスタンスを貫きました。おかげで中学にあがった頃には僕はかなりモテました。





◆中学に進むと、僕は両親にピアノを習わせて欲しいと頼みました。音楽家になりたかったのです。しかし返ってきた答えは「音楽でメシは食えない。だからダメだ」 その答えを聞いてとても悲しかった。しかし僕はピアノの練習は学校の体育館のピアノを使い、音楽の基礎学習はお小遣いをためて一冊ずつ教本を買い揃え、独学で音楽の勉強をしました。弟は何故かオルガン教室に通わせてもらっていました。





◆父の口癖は「一番好きなことは趣味にしろ。二番目に好きなことを職業にしろ。」でした。何故一番好きなことを職業にしたらいけないのかその当時は全く分からなかったし、今でも理屈はわかるが本質ではないと思っています。


◆高校受験は楽勝だと思っていたのでずっと音楽の勉強しかしませんでした。ある日、僕の音楽の教材が一切無くなっていたのです。母は「受験勉強しなさい。受験が終わったら返してあげる」 どうやら音楽の教材を隠してしまったのです。僕はトイレで泣きました。声を殺して泣きました。あんなに悔しい思いをしたのは生まれて初めてでした。





◆しかしすぐ何処に隠してあるのかを見つけ出し、受験勉強をする振りをして音楽の勉強を続けていました。音楽大学に受かるには15くらいから勉強をはじめるのでは遅すぎる事を知っていたからです。





◆両親から「公立高校に進学するならピアノを買ってやる」との約束を取り付け、簡単に入れそうな公立高校を選びました。そしてまんまとピアノをせしめました。さらに高校進学と同時にピアノの師匠、作曲の師匠に師事させてもらいました。積年の思いが一気にブレイクしたのです。





◆高校へは朝一番に、それこそまだ校門が開く前から入っていました。僕が校門を開けていたくらいですから。そして体育館のピアノで練習をしました。朝のHRを終えると教室から飛び出し、図書館で音楽の勉強をしていました。最初の頃は司書に「授業に出なくてもいいの?」と言われていましたが、そのうち司書も何も言わなくなりました。





これが僕の0~15歳の記憶です。
そのうち16~30歳くらいまでの事を書きましょう。


A氏


仕事に追われながらも自分の時間をきちんと確保している人は素晴らしいと思います!今の自分にはそれが出来ないからであります!余裕がないのっす!気が付いたら定時なんっす!漠然とコレやろうと思っていたことでも気が付きゃ定時なんです!また今日もできない又ダメダメだよと重いながらの毎日っす!このままじゃ気が付いたらおじいさんっすよ!多分きちんと時間割を作れば貴重な時間の中からイケテる自分の時間を作り出すことは可能だと思うっす!何曜日の何時これ、何時はこれ、と最初から決めておけばいいのっす!よし!こうなったら今年の目標は「時間割作りの達人」おい!いきなり達人はないっすね!とりあえず「時間割学士」からはじめるっす!いや!自分の場合は幼稚園クラスからみっちりやらなきゃダメだと気が付いている筈っすよ!だからだららだららと時間をかけてやっているようではダメなのっす!まず今回の文章がだららだららと無駄に改行無しっすよ!もうちょっと現実的になれ俺!まずは書くっす!書いて書いて書きまくるっす!時間割を分刻みで書くっす!間延びしちゃ遺憾っす!よし!とりあえず5分後の俺は近所のバーでテキーラを飲むことにしよう。 



B氏

夕方、紙一枚をとって来るべき年の目的の略図を書きました。言うなれば、具体的な人生計画です。これから、目的を達成するために詳しい戦略を立てたり、挑戦について正しい判断を下したりする予定です。統計によると、人々の約90パーセントは目的なしに生活しています。概して言えば、もし目的がなければ、一番優れた才能もだんだん殺されるのです。知識ほど強い兵器は他にありませんが、目的がなければ一番強い兵器も無用になります。つまり、生活する中では具体的な目的を持つことが何よりも大切だと思うのです。

日常をアイデアばっちりな永遠の太陽を追いかけて波間に見え隠れするロックンローラーたちある不安を抱えたままイージーに口数の少ない2次元コードメッセージを残します

げんかつぎやジンクス貼って活用してますか?明け方のプールで見るちょっとアンティークな雰囲気で近所の普段から不思議に思っている2次元コードこれからイージーに働いて華麗な時間つーことでやはり気が付いたら制御されているのではなかろうかと・・・

やりたいことをやってきたが何かと時間が過ぎてしまいがち身の程知らずのでしゃばり野郎がアゴを砕いた空に沈んでゆく。概して言えば、生産性向上だぜ。待ちきれねぇ!それが醍醐味ってやつだ。

をぉをぉ

やばい! やばすぎ!結果を出せないなら神社にお参りして踊るぜゐ!乱れうちしようじゃないか。ダイレクトちんぽ食いちぎってケツの穴にスマッシュプレイでじっくりと味わえる死体とかに決定だ!失礼極まりない普通の日。

あー本読んだり字書いたりやばい! やばすぎ!舐められたらキックの連打を主張した首相。@押せ

基本的な戦略はよくフォントや文字サイズを変える事だ。

いいことあるかなぁ~テロだか何だか知らないが踊るぜゐ! 決定だ!たいしたことは言っておらん。チヂに乱れるこの答え。
どうすっぺかな・・・


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息子の誕生2年を記念して、猪瀬紀子に写真を撮ってもらった。
人物の撮影では定評の猪瀬だけに、仕上がりが楽しみだ。


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カラスがさわいでいた。
道端に、可燃ゴミの集積所からあぶれたのか、残飯のかけらが落ちており、数羽のカラスたちが、そいつを奪い合っていた。

かけらは、よく見ると鶏のからあげの食べ残しだった。

この餌はどう見積もっても一羽分の量しかない。

それを、10羽弱のカラスたちが争っている。

でも、争いに参加しなければ、鶏のからあげのかけらにはたどり着かない。
少しの可能性でも信じていれば、なんらかの成果にありつけることを、彼らは知っている。

可能性を信じなければ、のたれ死ぬことを、彼らは知っている。



食事時になれば、股間から飼い犬が顔を出す。

充分な餌をやっているのもかかわらず、人間様の食卓から、何か美味しいものが落ちてくるのを待ち受ける。
待ち受ける。
奴らだって奇跡を待ち望んでいるのだ。
奇跡は、望む者のところにだけやって来る。



ひょっとしたら誰でもそうかもしれないが、ご多分に漏れず俺だって自分を特殊な人間だと思っている。
優位な意味での「特殊」だ。
俺は空とぶ男。俺ほど空を上手に飛べる男はいない。
思うだけで空を自在に飛べるのは、恐らく人類初の快挙だろう。
空中浮揚みたいな、どこか胡散臭い技ではなく、意識すれば長時間、自在に好きなポイントに移動できる、それを考えれば、これは立派に「飛んでいる」と言って良いだろう。
そんな訳で、一躍時の人となった俺のもとには、飛びたい志願者が毎日の様に大勢押しかけた。
飛びたいのだ、と、熱い思いに突き動かされてやって来る志願者の多さに、ある日「飛ぶことに何のメリットがあるのか」考えてみた。大事なことは やはり「気持ちが良い」ということになるのだろう。移動が早いとか、墜落以外の危険な要素が無いとか、それらは小さな問題だ。純粋に気持ちが良いのだ。
人は気持ち良いものに惹かれる。車に乗るのだって、飛行機に乗るのだって、気持ちが良いから乗る。それと同じだ。



俺の飛行教室には、飛行の為の練習に必要な台がひとつある。
ちょうど小学校の校庭にある朝礼台の様な、それよりもうちょっと高いテーブル状の台。白くペイントされた佇まいは、まるでセブンティーズの西海岸。まるでカリフォルニアの青い空に、眩しく輝く白い台から、ゆっくりとテイクオフする。
テイクオフと言っても、並みの人間がいきなり空中に浮くことなど出来ない。最初は俺が手を差し伸べる。
俺の中から手づたいに飛行するエネルギーが伝播する。
生徒の体がゆっくりと浮かんだら、そこで俺はアドバイスする。
「飛べるだろ?今飛んでいるだろ?その『今、自分は飛んでいる』って意識を強く持ち続けるんだ!」
要領のいい者は その一言だけで浮くことが可能になる。
しかし、たいていの人間はそれだけじゃ「空を飛ぶ」までには至らない。 練習を繰り返すうち、いずれ自分の意思で移動出来る様になるだろう。一朝一夕になし得る事ではないのだ。



筋の良い男子生徒の一人が、自分のガールフレンドを連れてやってきた。飛行の気持ち良さを彼女にも分からせたい、分かち合いたいのだと言う。
まだ20歳の彼女は小さくて美しかった。その美しさに惹かれた俺は、いつもよりも心臓の鼓動を早くしていた。
俺は彼女と手を繋ぎ、何食わぬ顔でいつもの様に指導した。
彼女は浮かない。
どうやっても浮かない。
おかしいな、こんな例は今まで無かった筈だ、なぜ急に浮かなくなった?
すると、彼氏が手を差し伸べた。
彼のエスコートで彼女は浮いた。
俺は嫉妬した。
彼と彼女はお互いに顔を合わせながら浮いた。浮きながら笑った。



俺は目が覚めた。
いつも通りのけたたましいベルの音。時刻は午前5時。いつも通りの一人暮らしの寂しい部屋、いつも通りの起床時間だった。重い体を起こすと、俺はベランダに置いた椅子に座り、タバコに火をつけた。東の空には既に熱い太陽が昇っており、しばし見ていると ゆっくりと上空に移動している様子がわかった。あと10分、このままぐずぐずしていると遅刻しそうだ、あわててワイシャツを着込み、ネクタイをウインザーノットで結ぶと、いつも通り、取り柄の無い一介のサラリーマンになって階段を駆け下りた。


夏の入り口の午前6時、青空を仰ぎ見て、俺は飛べる筈だろ?と自問した。