コメント (2 件)

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- 2005年 2 月 7 日
美香子さんいらっしゃい!
前にも書きましたが「スケベで思いやりにあふれた女子」が好きです。
ただスケベ、ただ思いやりがあるだけじゃなくて「スケベ&思いやりにあふれた女子」ってあまり居ないから
前にも書きましたが「スケベで思いやりにあふれた女子」が好きです。
ただスケベ、ただ思いやりがあるだけじゃなくて「スケベ&思いやりにあふれた女子」ってあまり居ないから
満月の晩
ことさらこの間の電話の事が気に掛かる
窓の外には
通り雨で曇った空に
うすぼんやりと月が顔を覗かせている
どうか神様、あの親が、あの子が、
いや、現代に生かされている迷える人たちが、
愛の何たるかを理解し、
支え合う事が出来ますように
見たよ見た見た、夢を見た!
インナートリップして来たよ。
昼飯食ったら腸眠くなっちゃって、思わず布団に入っちゃったのね。布団に。
本来であるならせっかくの素晴らしい天気の晴天の黄金週間を存分に満喫するべきなのに寝ちまった。
昼過ぎから夕方5時半まで5時間も! 5時間だぜぇ~。
丁度さぁ、寝床は窓際にあるもんだから開け放った窓からは気持ちのいい風がさわさわぁ~って入ってきて俺の顔を撫でるもんだから、そりゃもう気分は最高、バリ島のバレ(東屋)で昼寝してる気分だった。
で、俺的には「寝ちゃ遺憾、これはちょびっと横になっているだけなんだ・・・ 今日は遊びに行かなきゃいけないんだ・・・ 寝ちゃ遺憾・・・」って思っていたんだけど、やっぱお約束通り気絶しちゃったよ。今年最高の昼寝だったねありゃあ。
で、どんな夢を見たのかってぇと、流行り歌の主題になるって夢だった。
作者不詳の流行り歌に登場する謎の人物が実は俺って話w
インターネット上で流行っている歌の総合ランキングを週ごとに発表するって云うテレビ番組があって、そこで第一位に輝いていたのがタイトル「ニシムンチャ・シチリヤキ」って曲なの。
それこそ俺がお遊びで作った「西村ヒデアキ」って曲だったのだ。実は自分のテーマソングなのさw 本名ね、西村ヒデアキは俺の本名。
仲間内でそれぞれのテーマソングを作ろうぜ、ってことで自作自演で作ったMP3をP2Pプログラムに載せたのが原因なんだけど、それがあっという間にネットに蔓延し流行ってしまったのだ!
哀愁を帯びたメロディに所々意味不明の歌詞がついたなんとも不思議な曲「ニシムンチャ・シチリヤキ」はチンコ音頭以上、いや、「ムネオ・ラップ」以上のメガヒット!
歌詞が意味不明なのは、おそらくP2Pプログラムにアップする際、通信環境が悪くてデジタルむらが発生したのだと思う。だからタモリのハナモゲラ語みたいな雰囲気になっちまった。
そこが受けた。
今や、カラオケで歌われ、有線で紹介され、知らぬ者など居ない位に流行っている。
ベストテン番組の中では生中継でとある居酒屋に行き、「ニシムンチャ・シチリヤキ歌えますか?」ってインタビューするんだ。最初数名の若者が歌っているといつの間にか場内全員で大合唱になっちゃうのwww
それを見ていた俺が
「その歌はおれのだぁぁぁっ!!!」
って叫ぶのねw
そんな夢だった。
夢から醒めると夕方の優しい光線が窓から差し込んでいた。
寝ぼけている俺は何とか俺の著作権を守らなきゃ、って一所懸命考えてたw
夢から醒めた瞬間ってまだ夢と現実の狭間を彷徨っているからね。滑稽ではあるけど、真剣に著作権について考えてたよ。
遊びには行けなかったけど、面白い夢を見せていただいたからそれで良しとするか。
みなさんも良くご存知の通り「かごめかごめ」などはその意味についてかなりの説が上がっているけど、これだ!っていう意味が判らない代表的な意味不明曲だよね。
「かごめかごめ」が生まれた時代がまずわからない。江戸時代にはすでに存在していたのだが、「鶴と亀が滑った」の部分は大正・昭和期に変化したのだという。
それ以前には「つーるーつーるー つっぱいた」だったそうだ。なんだそりゃ余計わからんよ。それが「鶴と亀が滑った」にさし替わった理由もさっぱりわからん。
「夜明けの晩に」も 元々は「夜明けの番人」だったそうだ。
って事は、「かごめかごめ」はものすごく古い時代に生まれ、時代時代に歌詞を変化させながら今に至っているってことだよね。
いつ聞いても何となく不吉なムードを漂わせる「かごめかごめ」、元々はきちんとした歌詞があったに違いない。それが時代を経てすっかり謎めいた歌になった。
で、夢の中の「ニシムンチャ・シチリヤキ」はデジタル処理の誤りが意味不明をもたらした。
いずれにせよ、人は意味不明なものに惹かれるってこった。(おいおい「ニシムンチャ・シチリヤキ」はキミが見た夢で、別に流行っているわけじゃないだろ、って突っ込みはスル~♪)
意味不明曲の代表、中村八大作曲「ジンジロゲの唄」も、元々は明治時代の「ジンジロゲおどり」が元になっている。
「ジンジロゲの唄」 作詞:渡舟人
ちんちくりんのつんつるてん
まっかっかの おさんどん
お宮に願かけた 内緒にしとこ
ジンジロゲ ヤ ジンジロゲ
ドレドンガラガッタ
ホーレツラッパノツーレツ
マージョリン マージンガラ チョイチョイ
ヒッカリコマタキ ワイワイ
ヒラミヤ バミヤ チョイナダ ディーヤ
ヒラミヤ バミヤ チョイナダ ディーヤ
チョイナダ ディーヤ
チョイナダ ディーヤ
ヒッカリ コマタキ ワイワイ
ヒッカリ コマタキ ワイワイ
おっぺけぺえの すってんてん
まっくろけの じんじろべえ
お宮に 願かけた 内緒にしとこ
おさんどんと じんじろべえ
まっかっっかと まっくろけ
お宮で結んだ 内緒にしとこ
まっかっかの おさんどん
お宮に願かけた 内緒にしとこ
ジンジロゲ ヤ ジンジロゲ
ドレドンガラガッタ
ホーレツラッパノツーレツ
マージョリン マージンガラ チョイチョイ
ヒッカリコマタキ ワイワイ
ヒラミヤ バミヤ チョイナダ ディーヤ
ヒラミヤ バミヤ チョイナダ ディーヤ
チョイナダ ディーヤ
チョイナダ ディーヤ
ヒッカリ コマタキ ワイワイ
ヒッカリ コマタキ ワイワイ
おっぺけぺえの すってんてん
まっくろけの じんじろべえ
お宮に 願かけた 内緒にしとこ
おさんどんと じんじろべえ
まっかっっかと まっくろけ
お宮で結んだ 内緒にしとこ
そして
元になった「ジンジロゲおどり」 作者不詳
ヂンヂロゲ ヤ ヂンヂロゲ
ドーレドンガラガッタ
ホエツ ラッパノ ツエツ
マーヂン マーヂンガラ ヂョイヂョイ
シッカリカマタケ ワイワイ
ピラミナパミナ
ヂョイナラリイヤヂョイナラリイヤ
アングラカッチ カングラカッチ
ナッパッパルチルカーナ
オップルセット ナップルセット
ナッパッパルチルカーナ
ドーレドンガラガッタ
ホエツ ラッパノ ツエツ
マーヂン マーヂンガラ ヂョイヂョイ
シッカリカマタケ ワイワイ
ピラミナパミナ
ヂョイナラリイヤヂョイナラリイヤ
アングラカッチ カングラカッチ
ナッパッパルチルカーナ
オップルセット ナップルセット
ナッパッパルチルカーナ
元歌であるこの曲は以下のサイトで聞く事が出来ます。
なんでこんな歌が流行ったのか今となっては知る由もないだろうけど、きっとその当時の人々は歌いたかったんだよ意味不明な歌を。
気持ちが良かったんだな、意味不明な歌が。
岡本太郎先生もおっしゃったではないか。「芸術とは何か。『何だこれは!』『何だかわかんない!』といふ存在が芸術なんだ」ってね。
なんとなく形にしたくて、起きたらすぐギターを取り出して夢の中で見た「ニシムンチャ・シチリヤキ」を歌ってみた。
すると、途中でどうしても加山雄三の「ボクの行く~ところ~へ~ ついて~おいでよ~♪」になっちゃって、そんな事を繰り返しているうち元々の曲を忘れちまった! 歌詞も虫食い状態に忘れちまったw
あらあら、せっかくのメガヒットを不意にしちまったぜ俺。
まあいい。これをいい機会に意味不明の曲でも作ってどっかにUPするかな。
そしてそれがいずれもっともっと訳の分からない曲に変化して永遠の命を得たとしたら痛快じゃないか。

子供の頃、ダンボールを組み合わせて想像の中のロボットを具現化した。
学校に行き、それをクラスの男の子連中に自慢すると、我も我もとダンボールのロボットを作り始めた。
一番最初のロボットである私のロボットは 後続のロボットたちの格好の標的となり、後続のロボットを作った者たちによって破壊された。
私の夢のロボットを失った事で、私はたいそう悲しかった。
学校の先生は 彼らの非を責め、私のロボットを修復するよう命じた。
修復されたロボットは お世辞にもすっかり元通りとまでは行かなかったが、まあまあ見られるレベルにまでは回復した。
しかしそれは、もうすでに私のロボットではなかった。
私は冷めてしまってその後ロボット作りをやめてしまったが、クラスの男の子連中は 相も変わらずロボット作りに精を出していた。
少し時が経って、私は ウルトラ警備隊が欲しくなった。
しかしながら、テレビの世界と違って 現実の社会には目に見える敵がいなかった。
そこで、昭和四十年代当時もっとも世間をにぎわせていた問題「公害」に的を絞り、これを敵とみなす、そんな軍隊を組織した。
小学2年生の私には 構成する隊員が必要だった。
手書きのポスターをつくり、広く小学校全校からメンバーを募集した。
私のもとには20人近くの隊員が集まり、日がな公害対策を講じると言った遊びを展開した。
私の部屋が秘密基地だった。
その後、公害を敵とみなす軍事行動はなりをひそめ、ただの親しい友人と化して行ったが、その時の付き合いは まだ続いているように思う。
中学生になった頃、市内の子供会を面倒見るボランティアに参加した。
「青少年の健全育成」を謳った団体ではあったものの、メンバー達は「会議がある」事を名目に毎日の様に夜遊びをした。
当然「会議」はでっちあげ。
教育委員会お墨付きの夜遊びだ。
そこには「毎日がおまつり」と言った感覚があった。
特に何も用が無くとも、夜になると皆 公民館にあつまり、今夜は何をして遊ぶのか、そんな話をしていたものだった。
高校生になった頃、ロックンロールを始めた。
リーゼントのロックではなく、どちらかと言うとヒッピー的なのりだったと思う。
授業にはろくに出席せず、ブラスバンド部室に集まっては 1時間目からお昼までブルーズかロックをして遊んだ。
自由な校風だったので、先生に怒られるということは そうそう無かったと記憶している。
年に一度の文化祭は 酒を飲み、泊り込みでのドンチャン騒ぎだった。
高校を卒業してからは、浪人と言う身分を隠れ蓑に しばらく遊んで暮らしていた。
ただ遊ぶだけでは飽きるので、ふらふらしている連中を誘ってはバイクで走り回り、繁華街をうろつき、何か面白い物を求めていた。
チーマーという言葉が無かった頃、俺たちはチームを結成した。
オープンにしたジープに乗り込み、酒を飲んだ。
酒を飲みながら夜風を受けて キラキラする都会の大通りを疾走していた。
土曜の晩はお台場のゼロヨンに参加した。
今までの過ごしてきた時間は ほぼ「祭り」だった。
晴れとケ、そのうちの「晴れ」が時間の全てを牛耳ってきた。
今までつまらない事のほうが少なかったし、これからも「つまらない」事は少ないだろう。
何故ならば「面白くなるように自ら仕向けている」からだ。
地元の祭りには毎年参加する。祭りは「晴れ」の日だ。
その時、「旭睦」と書かれたはっぴを おそろいで着込む。
晴れ舞台だ。
旭睦とは「旭町の睦まじい、仲良しグループ」という意味である。
仲良しグループが乱痴気騒ぎを起こす! これが「晴れ」だ。
ケの状態を続けると 人生に彩りが無くていけない。
つまらぬ大人になる・・・とは、そのような「ケ」の状態が長く続く事を指しているのではなかろうか・・・

ケ=静かな状態 晴れ=エネルギッシュな状態
これは出来るだけ良いバランスでありたいものだが、最近では「扇動家」が居ないのか、なかなか「ケ」から脱出出来ないでいるケースが多いと思う。
準備はいらない。
祭りはいきなり始まっても良い。
活発に遊びまわり ワクワクすることは、宇宙の脈々と流れる様に似ている。
動き回り、乱痴気騒ぎを起こすことは 他人様からすれば迷惑千万なのだが、全く静かな日々を暮らすのもいただけない。
古来より、野蛮な祭りとみなされた「晴れ」は 中央の意向で絶滅の一途を辿ったが、祭りを全て無くしてしまうと「クーデター」という新たな祭りが発生してしまう事を知っていた彼等は 全ての「晴れ」を取り上げてしまうことはしなかった。
少々の迷惑はあるかも知れないが、人は祭りを望んでいる。
誰が扇動するか、それが問題だ。
扇動家はいるのか。
晴れ舞台はあるのか。
2006/11/12
奇跡
成田発ガルーダ881便は直行便だ。現地時間の5時頃にン・グラライ国際空港にランディングする。
高度が下がり、夕日にはちょっと早い時間の、アンニュイな午後の光を反射するバドゥン半島の断崖絶壁が目線の高さに望める。
時速230キロまで速度を落としたボーイング747は、そのまま着水するのではないかと思うほど海面すれすれに滑空し、右にドスン、左にドスン、前にドスンと、ぎこちなくギアを着地させる。
体質のせいか俺は、飛行機の下降による気圧の変化に鼓膜をやられやすい。両耳が痛くなって、頭が破裂するのではないか、と思う位、俺の耳はデリケートである。大抵の場合、耳の聞こえない状態でイミグレーションを通過する事になる。
耳が聞こえる様になるには、宿に着いてシャワーを浴び、テラスに出て夕涼みをしながらビールを二本飲む位の時間が必要だ。
だが今回は違った。
成田からデンパサールまで、気圧の変化に悩まされる事は全く無かった。
映画「パルプフィクション」の中でサミュエル・L・ジャクソンは「奇跡が起きた」と言った。
乱射する相手を目の前にして、たまたま弾に当たらなかっただけなのだが、彼はこれを奇跡と呼んだ。
それが奇跡なら、耳が痛くならなかった事は、充分奇跡に値するのではなかろうか。
直行便は大抵、数ヶ月前には埋まってしまう。
バリ島に行こう。そう思って行動を起こすが、何の不安も無くバリ行きの席を確保したかったら、乗り継ぎや経由便を選択するしかなかった。
それが今回は、申し込みに行ったその日の内に直行便を確保する事が出来た。
素晴らしい。
そして当日、実際乗り込んでみると、俺の席の右側、三つ並んでいる残り二つの席には客が来なかった。
俺は座席三つ分を占拠して、横になって眠りながらバリに向かった。
大変素晴らしい。
映画「パルプフィクション」の中でサミュエル・L・ジャクソンは「奇跡が起きた」と言った。
乱射する相手を目の前にして、たまたま弾に当たらなかっただけなのだが、彼はこれを奇跡と呼んだ。
それが奇跡なら、俺が直行便を取れたことは、そして座席を三つも占拠出来た事は、もっと奇跡な出来事ではなかろうか。
世の中は小さな奇跡の連続で成り立っている。
小さな奇跡は、それが小さければ小さいほど、その時は気が付かないものだが、冷静になれば、ひょっとしたらあの時のあれは奇跡だったのではないか、と、しみじみ思い出されるものも少なくない。
帰りのガルーダ880便は、ジャカルタ経由の夜間飛行だ。
ジャカルタ迄は国内線として、多くのインドネシア人が利用する。
今度ばかりは奇跡は起こらないだろう、狭い座席に窮屈になって眠らなければならないだろう、と覚悟した。
ところがどっこい、乗り込む直前にバリ島の友人から電話が入った。
同じ便でジャカルタまで行くから、ボクの隣の席においでよ。そのまま日本まで帰ればいい。スタッフにはボクが頼んであげる。
ビジネスクラスだった。
映画「パルプフィクション」の中でサミュエル・L・ジャクソンは「奇跡が起きた」と言った。
乱射する相手を目の前にして、たまたま弾に当たらなかっただけなのだが、彼はこれを奇跡と呼んだ。
それが奇跡なら、格安チケットを買っておきながらビジネスクラスで楽に帰国出来たのは、奇跡と言って差し支えないだろう。
小さな奇跡は誰に感謝したら良いのだろう。
神か?
無神論者には当然「奇跡」も無いだろうから、そもそも感謝しなければならない言われも無いだろう。だが、色んな奇跡を発見する俺は誰かに感謝したいのだ。
対象になる神はどこに居る?
残念ながら、神は俺の生活する範疇に実体を現してくれない。
やむなく俺は、見えないものに手を合わせる。
それはイマジネーションの中の神だったり、もう地上には居なくなってしまった愛すべき人の面影だったり、色々だ。
俺の身の回りに存在するいろんなものにも手を合わせる。
家族や親しい友人や、多少なりとも俺と関わりを持った様々な人に手を合わせる。
あまねく存在するものは、ひょっとしたら神の化身かも知れないからだ。
この奇跡は、神の化身である様々な存在が、俺の幸せを祈ってくれた賜物ではないか。
そうして俺は優しい気持ちに満たされる。
優しさ、とは、小さな奇跡に気が付く能力ではないか。
今、小さな奇跡が嬉しいのなら、ひょっとしたら他の誰しもが同じ様な事を思っているかも知れない。なら、その人たちの為に、その奇跡を自分も演出してみよう。
それが世界中を連鎖すれば、どれだけ人は幸せな社会を作る事が出来るか。
映画「パルプフィクション」の中でサミュエル・L・ジャクソンは「奇跡が起きた」と言った。
乱射する相手を目の前にして、たまたま弾に当たらなかっただけなのだが、彼はこれを奇跡と呼んだ。
それが奇跡なら、世界が存在する事自体が、素晴らしい奇跡ではなかろうか。
高度が下がり、夕日にはちょっと早い時間の、アンニュイな午後の光を反射するバドゥン半島の断崖絶壁が目線の高さに望める。
時速230キロまで速度を落としたボーイング747は、そのまま着水するのではないかと思うほど海面すれすれに滑空し、右にドスン、左にドスン、前にドスンと、ぎこちなくギアを着地させる。
体質のせいか俺は、飛行機の下降による気圧の変化に鼓膜をやられやすい。両耳が痛くなって、頭が破裂するのではないか、と思う位、俺の耳はデリケートである。大抵の場合、耳の聞こえない状態でイミグレーションを通過する事になる。
耳が聞こえる様になるには、宿に着いてシャワーを浴び、テラスに出て夕涼みをしながらビールを二本飲む位の時間が必要だ。
だが今回は違った。
成田からデンパサールまで、気圧の変化に悩まされる事は全く無かった。
映画「パルプフィクション」の中でサミュエル・L・ジャクソンは「奇跡が起きた」と言った。
乱射する相手を目の前にして、たまたま弾に当たらなかっただけなのだが、彼はこれを奇跡と呼んだ。
それが奇跡なら、耳が痛くならなかった事は、充分奇跡に値するのではなかろうか。
直行便は大抵、数ヶ月前には埋まってしまう。
バリ島に行こう。そう思って行動を起こすが、何の不安も無くバリ行きの席を確保したかったら、乗り継ぎや経由便を選択するしかなかった。
それが今回は、申し込みに行ったその日の内に直行便を確保する事が出来た。
素晴らしい。
そして当日、実際乗り込んでみると、俺の席の右側、三つ並んでいる残り二つの席には客が来なかった。
俺は座席三つ分を占拠して、横になって眠りながらバリに向かった。
大変素晴らしい。
映画「パルプフィクション」の中でサミュエル・L・ジャクソンは「奇跡が起きた」と言った。
乱射する相手を目の前にして、たまたま弾に当たらなかっただけなのだが、彼はこれを奇跡と呼んだ。
それが奇跡なら、俺が直行便を取れたことは、そして座席を三つも占拠出来た事は、もっと奇跡な出来事ではなかろうか。
世の中は小さな奇跡の連続で成り立っている。
小さな奇跡は、それが小さければ小さいほど、その時は気が付かないものだが、冷静になれば、ひょっとしたらあの時のあれは奇跡だったのではないか、と、しみじみ思い出されるものも少なくない。
帰りのガルーダ880便は、ジャカルタ経由の夜間飛行だ。
ジャカルタ迄は国内線として、多くのインドネシア人が利用する。
今度ばかりは奇跡は起こらないだろう、狭い座席に窮屈になって眠らなければならないだろう、と覚悟した。
ところがどっこい、乗り込む直前にバリ島の友人から電話が入った。
同じ便でジャカルタまで行くから、ボクの隣の席においでよ。そのまま日本まで帰ればいい。スタッフにはボクが頼んであげる。
ビジネスクラスだった。
映画「パルプフィクション」の中でサミュエル・L・ジャクソンは「奇跡が起きた」と言った。
乱射する相手を目の前にして、たまたま弾に当たらなかっただけなのだが、彼はこれを奇跡と呼んだ。
それが奇跡なら、格安チケットを買っておきながらビジネスクラスで楽に帰国出来たのは、奇跡と言って差し支えないだろう。
小さな奇跡は誰に感謝したら良いのだろう。
神か?
無神論者には当然「奇跡」も無いだろうから、そもそも感謝しなければならない言われも無いだろう。だが、色んな奇跡を発見する俺は誰かに感謝したいのだ。
対象になる神はどこに居る?
残念ながら、神は俺の生活する範疇に実体を現してくれない。
やむなく俺は、見えないものに手を合わせる。
それはイマジネーションの中の神だったり、もう地上には居なくなってしまった愛すべき人の面影だったり、色々だ。
俺の身の回りに存在するいろんなものにも手を合わせる。
家族や親しい友人や、多少なりとも俺と関わりを持った様々な人に手を合わせる。
あまねく存在するものは、ひょっとしたら神の化身かも知れないからだ。
この奇跡は、神の化身である様々な存在が、俺の幸せを祈ってくれた賜物ではないか。
そうして俺は優しい気持ちに満たされる。
優しさ、とは、小さな奇跡に気が付く能力ではないか。
今、小さな奇跡が嬉しいのなら、ひょっとしたら他の誰しもが同じ様な事を思っているかも知れない。なら、その人たちの為に、その奇跡を自分も演出してみよう。
それが世界中を連鎖すれば、どれだけ人は幸せな社会を作る事が出来るか。
映画「パルプフィクション」の中でサミュエル・L・ジャクソンは「奇跡が起きた」と言った。
乱射する相手を目の前にして、たまたま弾に当たらなかっただけなのだが、彼はこれを奇跡と呼んだ。
それが奇跡なら、世界が存在する事自体が、素晴らしい奇跡ではなかろうか。
夜。
居酒屋のチラシ配りや、キャバクラの客引きや、何の客引きだか分からない客引きや、その他諸々の雑多な職業の人が、勤め人の財布をアテにする駅前の雑踏。
実は駅前は安全なのだ。眠る事無く、自分の欲望ではないことにエネルギーを注がねばならない人々が集う夜の駅前。
そのエネルギーは「生きるための熱気」だ。そこに危険があっては、明日の糧に困る。
放埓に見せておきながら、実はとても理性的であり、理路整然としている。放埓は計算された演出なのだ。我々はそれに釣られて財布の紐を緩める。
夜の駅前は安全なんだ。
むしろ、他意の無い住宅街の方が危ない。
他意が無いからこそ欲望が剥き出しになる。
見えるぞ見えるぞ!あの曲がり角の向こうに ――――!
夏のある夜、C先輩が両国フォークロアセンターでライブをすると聞き、音楽仲間の友人と二人して聴きに行った。C先輩は非常に独特な歌手なので、客層も独特であり、それを見るのも楽しみの一つだった。
畳の上に車座に座り、その真ん中でギターを爪弾き歌う先輩。皆がじっくりと聴き入った。
ひとしきりライブが終わり、C先輩はファンに囲まれながら酒を飲んだ。
「熱狂的なファン」と思しき男性客が、C先輩にやたら話し掛け、その矢継ぎ早の語り口調に先輩はゆっくり酒も飲めず辟易としていた。そんな雰囲気もライブならではと思いながら、俺たちも酒を飲み、楽しみ、時間が過ぎるのを忘れた。
いつしか終電の時間が迫り、俺たちは暗い夜道を両国駅に走った。
ギリギリのところで最終電車に間に合った。
気が付くと、先ほどの「やたら話し掛ける男性ファン」も同じ電車だった。
我々は三人で並んで席に座り、酔いも手伝ってか、先ほどの興奮を語り合った。男性ファンは、電車の中でも ものすごい勢いで語りまくった。
乗り換えの駅の構内で、男性ファンは持っていたカバンから何やらシールを取り出し、歩きがてら等間隔に壁に貼っていた。
なんだろうと思っていたら、友人が耳打ちした。
この人、過激派の人だよ。
どうやらそのシールは、ある有名な過激派のビラの様なものだったらしい。
友人はその方面に明るく、この人がどう言う素性の人なのかをそのシールで察知したのだ。
ライブの時にはそんな素振りは見せなかったのに、酔いが手伝ったせいもあって、普段は隠している別の顔を覗かせたのだろうか。
乗り換えた電車の冷房は、乗車している客が少ないせいか、とても良く効いていた。
冷房の効き以上に冷え冷えと感じられた。
先ほどまでの楽しい会話は無くなった。男性ファンは同様に喋りつづけていたが、俺たちはその素顔を知ってしまったからこそ沈黙した。
そして俺が降りる駅になり、友人と男性ファン改め、過激派を残して、ひとり電車を後にした。
ほっとした。
怖かったのだ。
過激派の人がどんな行動をするのか俺には分からない。でも、少なくとも事件性のある何かしらに関与しているふうの人だったので、そんな人と一緒に居る事が怖かったのだ。
友人には悪いな、と思った。俺が抜けて二人きりの電車は居心地が悪いだろう。でもしょうがない、俺の降りる駅は二人の降りる駅よりも手前にあるのだから。
電車から降りると、湿度の高いむっとした空気に包まれた。
駅前は終電の時間だと言うのに賑わっていた。様々な客引きが声を掛けてきた。しつこいと思いながらも、商売以外に他意の無い彼らの存在は頼もしかった。
駅前には「他人」しか存在しない。すべて「他人」なんだ。だからこそ、漠然とした共同意識みたいなものが存在する。
駅前を通り抜け、街路灯のあかりだけがぼうっと灯る暗い住宅街に入ったところから、その共同意識の庇護は消えてなくなる様な気がした。
俺は夜一時を過ぎた静かな住宅街をスクーターで家に向かった。
前を見ても後ろを見ても誰も居ない。
もう少しで家に辿り付く少し手前で、
長い髪をなびかせた上半身裸の大男が
左の家と家の隙間から飛び出してきた。
暴漢だ。
百鬼夜行みたいな風体のやつだった。
ああ、あるんだなぁ、やっぱり夏だなぁ、と、その時は妙に落ち着いていられた。何故ならば、スクーターで結構なスピードをだしていたからだ。このタイミングなら彼に捕まる前にすり抜けられる、そう確信していたので慌てる事はなかった。
妙な風体の男をやり過ごし、高鳴る動悸を抑えるために一周りして戻る事にした。
さすがにもう居ないだろう、と思いながら、先ほど男が飛び出してきたあたりを注意しつつ家に近付いた。
男が右から飛び出してきた。これは意外だった。
まだ居たのか!
もの凄く怖い!
俺は大声をあげ、とっさに男を蹴った。
男は大声に驚いたのか、それとも蹴られた事に驚いたのか、そのまま走り去った。
男を蹴った勢いで俺はスクーターから振り落とされた。
俺の大声とスクーターがアスファルトを削る音を聞きつけた付近の住民が玄関から出てきた。
たすけてください!
ヘンな奴に襲われました!
俺はショックでアスファルトに寝そべったまま動けなかった。
玄関から出てきた人は、俺を不審者だと思ったのか、一目散に家に逃げ帰り、鍵を閉めた。
少し先に転がっているスクーターのアイドリングの音だけが闇に響いていた。
アメリカ
僕は天下の力持ち。皆におだてられて神々の住む天上界まで駆け上り、天空のふちにぶら下がってみせたさ。
こんな芸当が出来るのは世界広しと云えど僕くらいのもんだ。
その当時は世界中がやんやと喜んでくれはしたが、時が経つと共に我が雄姿を見てくれる人も居なくなった。
途中ではたと気付いたんだ、僕は地上に戻る算段を立てていなかった。
何も用意していなかった。虚栄心を満たすために勢いだけで駆け上ってしまった。
いかに僕が世界ナンバーワンの力持ちだとしても、この高みを落下して戻るだけの度胸は無い。
後悔したよ。
世の中には絶対など無い事を思い知らされる。
こんな芸当が出来るのは世界広しと云えど僕くらいのもんだ。
その当時は世界中がやんやと喜んでくれはしたが、時が経つと共に我が雄姿を見てくれる人も居なくなった。
途中ではたと気付いたんだ、僕は地上に戻る算段を立てていなかった。
何も用意していなかった。虚栄心を満たすために勢いだけで駆け上ってしまった。
いかに僕が世界ナンバーワンの力持ちだとしても、この高みを落下して戻るだけの度胸は無い。
後悔したよ。
世の中には絶対など無い事を思い知らされる。
世界中の人々は僕のことを‘ 神 ’だと言っていた。
でも‘ 神は絶対 ’と言うじゃないか。
僕は神じゃない。
この腕はちぎれそうだし、「もし手を離したら」と考えると、死の恐怖に寒気が走る。
永遠は恐怖の向こう側にあるんだと思う。
それすら掴めない僕は神なんかじゃない。
反日思想
昔録画した古いビデオを再生した時 妙な気分になるのは、例えば夏にバッチリ厚着したモデルさんの出てくる携帯カイロのコマーシャルを見たり、冬にビキニ姿のお嬢さんがアイスコーヒーを飲むコマーシャルを見たりするからだろう。
とてつもなく遠いところへいきなり連れてこられたみたいな素っ頓狂なイメージだ。
仮にそれが大した内容もない下らぬビデオだとしても、やっぱりその映像に引き込まれてしまう。
そのちぐはぐな感覚に陶酔する事を選んでしまうんだ。
とてつもなく遠いところへいきなり連れてこられたみたいな素っ頓狂なイメージだ。
仮にそれが大した内容もない下らぬビデオだとしても、やっぱりその映像に引き込まれてしまう。
そのちぐはぐな感覚に陶酔する事を選んでしまうんだ。
日本
僕はいろいろ考える。
寝る前とかに。
とりわけ君の事を考える。
不思議な出来事を語り合って面白がったり、手品を見せたら喜んでくれた事を。
君が「空とぶ夢をみたい」って言ってた事を。
寝る前とかに。
とりわけ君の事を考える。
不思議な出来事を語り合って面白がったり、手品を見せたら喜んでくれた事を。
君が「空とぶ夢をみたい」って言ってた事を。
どうか神様
彼女が今夜
空とぶ夢を
見れますように。

生活と言うゲームはプレイヤーの操作方法や隠れキャラやアイテムなど多種多様で、ネットゲーム等とは難易度の幅からプレイするフレキシバビリティまでがらっと違う。
皆そのゲームの中に生きているのに、そいつを攻略してやろうという人が少ないのは何故なんだろう。
次の一手を事前に準備する時間は沢山あるのに、ろくな準備もせずに低い得点しか出来ない体たらく。
世の中に存在するどんなゲームよりも面白いこの「生活というゲーム」、一流プレイヤーになるための手段は幾通りもある筈だ。
皆そのゲームの中に生きているのに、そいつを攻略してやろうという人が少ないのは何故なんだろう。
次の一手を事前に準備する時間は沢山あるのに、ろくな準備もせずに低い得点しか出来ない体たらく。
世の中に存在するどんなゲームよりも面白いこの「生活というゲーム」、一流プレイヤーになるための手段は幾通りもある筈だ。
連日の豪雨から脱した感があるのは、盛夏の頃から比べ、太陽の軌道が南に傾いたからだろう。陽の力は落ち、もはや大地は熱を保たず、上昇気流も穏やかだ。
夏の終焉は、過去の彼方の、とっくに終ってしまった縁を想わせ、一瞬の呼吸困難を誘発する。
体によくないぜ、と一人ごちて、それでもなお感傷という麻薬に溺れるのは、それが快感だからに決まっているのだ。
今さら、あの人に会いたいとか、あの時の続きを、なんて思わないが、思い出の数々を、ふとした弾みにむさぼるのは、9月の西陽、夏の終わりのサウダージ。
俺はどうやって更正すればいいのか、毎年この時期になると悩ましい。
夏の終焉は、過去の彼方の、とっくに終ってしまった縁を想わせ、一瞬の呼吸困難を誘発する。
体によくないぜ、と一人ごちて、それでもなお感傷という麻薬に溺れるのは、それが快感だからに決まっているのだ。
今さら、あの人に会いたいとか、あの時の続きを、なんて思わないが、思い出の数々を、ふとした弾みにむさぼるのは、9月の西陽、夏の終わりのサウダージ。
俺はどうやって更正すればいいのか、毎年この時期になると悩ましい。
さようなら。この夜の冷え込みは、いよいよ君が去ってしまったことを俺に知らせるよ。目の前にはオリオン座が居て、夜に蝉は鳴かなくなったし、遠くに貨物列車の乾いた音が聞こえる。君のふところで、俺は肌を焼く女どもを眺めながらビールでも飲むつもりだった。歳を重ねるごと、君と疎遠になる様な気がするけど、俺は君のことを家族だと思っているんだから、君も俺を家族だと思って、早く戻ってきてほしい。君が居ないと、頭がおかしくなりそうだ。でなければ俺が君に会いに行くよ。全てを投げうってでも。

