
最近、何十年ぶりに電車通勤する様になって思うこと。
女子高生のスカートが、ちょっと見ないうちに、ずいぶん短くなった。
たぶんスカート丈の短さは、あるときを境に変化していないだろうと思う。だって、短いのがどんどん進んだら、そのうちスカートはスカートとして機能しなくなるはずだ。まるで腹巻きかベルトみたいになっちまう。
何が変わったのか、この数週間、熱にうなされるが如く考えていた。
多方面からの考察を経て、俺の思考はついにひとつの結論に達した。
スカート丈が短くなったんじゃない、彼女らの脚が長くなったのだ。
見えていた脚の表面積が増加したから、更にスカートが短くなったように感じるのだ。
我らが子供のころ、女子高生の脚といえば大根そのものであった。
畳の生活に起因する、ヤマトナデシコの脚であった。
家庭から和室が消え、椅子の生活がスタンダードになって、どのくらいの年月が経過したか。そのライフスタイルの変化が、今日の女子高生のスカート丈の短さを際立たせている。
感慨一入、我らの知る大根脚は駆逐され、ヨーロッパ北部のアンドロイドみたいな女性のスタイルに近づきつつある女子高生を見ると、人間の体の、物理的変化のスピードに驚くと共に、コカ・コーラを皮切りに流入した、アメリカの「精神の占領」が成功したのを感じる。
隠すべき脚から魅せる脚への意識の変化は長いスカートを駆逐した、そう考えると、長いスカートに日本人のアイデンティティーを、シンパシーを感じる。
アメリカに身も心も負けてしまったようで、すべてがアメリカに占領されてしまったかのようで悔しいが、悔しいけれど、でも、長い脚の女の子は大好きだ。