中学の頃からよく詩を書いていた。小説ではなく詩だ。それは「いずれ詩人として名を上げよう」みたいな類の動機ではなく、純粋に何かを残したかったのだと思う。ただのメモではその時の感動を残せないと考えた俺は 詩というスタイルによって言葉以上のものを記録しておきたかった。今から思い起こせば拙いばかりの詩を何千と書いてきたものだ。それでもお構いなしに感ずる事あれば何でも書いた。飽きずに書き続けた。美しさを留めて置くのに躍起になっていたのだ。言葉の中に永遠の美しさを宿す事が出来ると信じていた。詩があることによって全ての芸術的作業の動機となりえた。詩から得たインスピレーションは言葉の壁から飛び出て 別のものに変化したがっていた。俺はそのインスピレーションを愛しく思っていた。
そのインスピレーションこそ俺の心臓の鼓動の全てだったのだ。詩を書き溜めれば溜めるほど 俺の引き出しはインスピレーションで溢れた。引き出しごとに色んな味わいのロリポップキャンディが詰まっていった。
ところが社会に出るようになってからしばらくすると 詩に対する熱い思いに翳りが出てきた。
永遠に対抗できるほど俺は凄くない事に気付き、いつの間にか詩というスタイルを取らなくなった。気が付いたと言うより、凄くないと思い込んでしまったのだ。凄くないんだ、俺は。
普通の男なんだと思った。
美しいものを再現するために言葉を選ぶなら わざわざ素人ラッパーみたいな下手な韻をふむ必要は無いだろう。
何かが俺の心に理路整然とした思考を招き入れたんだ。







写真を撮りまくっていた時期もあった。
夕陽を撮り続けた。
いつも時計と睨めっこして良い頃合を選び自転車を走らせては荒川に急いでいた。
戸田橋の中ほどで日が沈むのを待ち、川面に夕陽が映されるタイミングを待ってシャッターを切っていた。
湿度や温度によって表情を変える川面の夕陽は見るごと胸を締め付けた。
時に美しい写真が偶然にも出来上がり、そのうち数点は今でも大切な俺の宝物である。
が、しかし、奴は意外に早くやってきた。
毎回同じ様な写真が出来上がる事に疑問を感じた。コレに何の意味があるんだろう、ファインダーを覗きながら思った。
フィルム代も侭ならないし、毎回帰りが遅いと家人を心配させてしまう。
情熱は理路整然とした思考のもと鎮火する。
写真は長続きしなかった。







その頃は平行して前衛的な絵画にも手を伸ばしていた。ある一定のフォルムに切り取った紙片に油絵の具をたっぷりと塗り、カンバスに重ねて一気にはがすと偶然出来上がる不思議な模様を楽しむ事が出来る。
デカルコマニーと言う。
この作業を数回重ねて一つの絵画に成長させてゆくのだ。
面白かったし出来にも満足していた。
部屋中がテンペラ油の香りで満ちていた。
服も床も油絵の具のしみで収集がつかなくなっていた。
ある日、俺の部屋は綺麗に片付けられ掃除され、全く別の部屋になっていた。
見かねた母が掃除したのだろう。
急に現実に戻った気がした。
胸の中の風船がしぼんだ。
今でもたまに絵は描くが、一頃の様な情熱は失せているのだろうなぁ、と思う。
情熱は理路整然とした思考のもと鎮火する。







社会人になってからはダンスミュージックを作っていた。
まだコンピューターも高価でなかなか手も出せなかった時期にローンを組んで電子音楽の出来る環境を手に入れた。
毎月の支払いは大変で、何度か支払いが遅れ、カードの利用が制限された事もあった。
それでも部屋中に強烈なバスドラムを響かせイメージが音になってゆくのを聴いては興奮していた。
今でこそトランスなどと呼ばれる類の音楽がクラバー達に愛されてはいるが、俺がはじめた頃はまだまだ未知の音楽で どうも皆には理解されていなかった。
それでも俺は自分が気持ちいいから続けていた。
それもつい最近まで続けていた。
いつだろう、製作を止めてしまったのは。
仕事に追われる様になってからだろうか、それとも違う楽しみを見つけてしまったからだろうか。
引越しを何回か経験するうち、昔ながらのMIDIのセッティングが面倒臭くなってしまったからだろうか。
情熱は理路整然とした思考のもと鎮火する。








俺は気が付いた。
きっとヴァン・ゴッホもある時を境に気が付いたんだろうな。
粛々と営まれる身の回りの社会、誰もが日常を淡々と過ごし、年齢に伴った幸せを守って生活している。
それに騙されるんだ。
小さくとも幸せな生活、人によってはそれを「人並みの生活」と呼ぶだろう。
こいつのせいで理路整然とした思考が働いてしまうんだ。
どんなに強がったってわが身は可愛い。
保身に走ると どうしても冒険は出来なくなる。
保身を考える事自体が既に自分の生きる道を否定しているように感じられるのだが、その旨みには勝てなかった。
本来自分の生きる道を見つけたとしたら、一切の邪念を拒むそのコミューンに紛れ込み、日常の一切を道に捧げるべきだったのだ。
俺も黄色い家でゴーギャンと共に暮らすべきだった。
一切の幸せ行きの快適な切符を破棄し、地獄の道を歩むべきだったんだ。
最期に狂い死にしたとしても そこには満足できる何かが残る。
自分は信念を貫く事が出来たと世界に叫ぶ事が出来る。
ああ、大声で叫ぶさ。
ボロボロになりながら忌まわの際まで何かを作り、いずれ俺の亡骸の側で作品は未完成のまま永遠の時間を刻むんだ。
その地獄道が怖くて理路整然とした思考に逃げていた。