誘いを受け、近所のクラブに踊りに行った。トランスとテクノのパーティだった。
それほど多くの客が居たわけではなかった。
いや、正確に言えば客は俺と友人以外には3人しか居なかったと言った方がいいだろう。
入り口付近のテーブル席に 見るからに場違いな初老のおばさんが座っていた。おばさんを含む3~4人が笑いながら何か話し込んでいる。そのおばさんのグループに友人も混じって話をしている様だった。
その横を抜け、フロアに出た俺はテクノの重低音に身を任せ、快適に踊っていた。
俺は彼女らの事などさして気にもとめず音の波に飲まれながらステップを踏んだ。
それからしばらくすると会話も落ち着いたのか、友人もフロアに出てきて四つ打ちのビートに身を任せ 共に音圧の波に酔いしれた。
酒を飲み、体をひねり、とてもエロチックな甘美な雰囲気にしばし酔いしれていた。
すると どこからかともなく手拍子が聞こえてくる。あのおばさんがフロアの入り口付近までやってきて、音に合わせて手拍子を打っているのだった。
なんとも拍子抜けな手拍子だ。演歌を聞くときに打つ、いわゆる「表打ち」と言われる手拍子なのだ。
それでも、クラブの楽しみ方は人それぞれ、それはそれで黙認せざるを得ない。
すると、場が盛り上がってくるにしたがっておばさんも盛り上がってきた。今度はタンバリンを持ってきて 素人タンバリンショーの始まりだった。
当然リズムは滅茶苦茶、ノリをそがれてしまった俺は意気消沈。フロアの壁にもたれて ただ酒を飲むのに終始した。
その後もおばさんは手を叩き、タンバリンを振り、閉店の時間まで友人ただ一人が踊るフロアの盛り上げ役に徹していた。
その雰囲気に最後まで乗ることが出来なかった俺は、今夜の顛末をmixiの日記に簡単に書きとめた。
するとそれを読んださきの友人がコメントを寄せた。
あのおばさんは近所に住んでいる人で、息子さんがあったのだが 彼が20のときに不慮の事故か病気で亡くなってしまったという事
また、その後もその悲しみを引きずり、なんとか自分を取り戻そうともがき苦しんでいる事
などなど。
そうだったのか。
そうと分かっていれば俺ももうちょっと何か出来たのにと悔やまれた。
おばさん、邪魔っけだな、早く帰んないかな、と思っていた自分を恥ずかしく思った。
息子を亡くした悲しみに打ち勝てず、どうしても亡き息子と同じ年頃の青年が集まる場所に来てしまう、その青年らの姿に息子をだぶらせてしまう、そんなおばさんを、こともあろうに鬱陶しく思っていた。
事情を知っていた友人は、だからこそフロアにたった一人になっても、満面の笑みで大きなステップを踏んでいたんだな。
俺も、もうちょっと楽しく踊ってみせればよかった。俺も、もうちょっと笑顔で接していればよかった。
人それぞれに背負うものがある。
その人の負担を少しでも軽くする事が出来たら、その人の周りも少しだけ幸せになる。
自分が出来る範囲の事でいい、ちょっとだけでも喜んでもらえればいい。そんな簡単なことも出来ない、そんな配慮にも欠けていた俺はまだまだ。