「イカ天に出ていたなんとかユウって今何やってるんだろうね」
請け負い工事の見積書を清書しながら隣の席の先輩が誰に言うでもなく小さな声で一人ごちた。
「相原 勇?確かアメリカかどっかに行ったんじゃなかったっけ。あっちの人と結婚して」店長が応えた。店長も随分芸能事情に詳しい。
しんと静まったオフィスでは、時折誰かが不意をつく話題を出す。オフィスの重い空気を少しでも軽くしようと気を遣っての一言だ。
それにしても何故相原 勇なのだろう。
それを質問したかったけど、見積書と格闘している先輩に聞ける雰囲気でもなかったのであきらめた。
イカ天か。
もう何年前になるかな。風呂上りにビールを飲みながら、たまたまテレビのスイッチを入れたら高校の先輩がテレビに出ていて、それがイカ天という番組だった。
先輩は勝ち抜き、その後プロとして紅白歌合戦にも出場した。
そしてその先輩の勝ち抜きから数ヶ月後、弥生がイカ天に出演した。



弥生と再会したのはどこだっけ、もうそんな記憶すら失いかけている。
俺と弥生は、多分浦和のどこかで再会した。
何故そう言い切れるのかというと、その時彼女は「家が浦和の駅前なんだ」と言っていたから。
中学を卒業するとすぐに弥生は蕨を去り、浦和に引っ越した。
少し時期を遅らせて、俺も両親の離婚と共に浦和に引っ越していた。
弥生は髪を伸ばしてアポロキャップを被り、太ももも露わなダメージジーンズのホットパンツ姿でギターケースを担いでいた。それは子供の頃の俺が知っている弥生とは真逆のいでたちだった。
彼女が中学生の頃、そりゃ垢抜けしない、貧弱な尻をした、色気も何もないお豆ちゃんだったのに、目の前にいる弥生は適度に肉がついてセクシーで、きちんと化粧した風変わりなお嬢さんだった。ギターケースまで担いで。
最後に会ってから6年、その間に何があったのか聞きたくて、懐かしい話でもしようと浦和駅前のコロラドに誘った。
「今何やってるの?」
「専門学校。建築のね、パースとか書く勉強してるんだよ」
喋り方は中学生の頃と同じ、とてもおっとりした響きが耳に心地よかった。
高校に入ってからバンドに惹かれ、インディーズのライブを見るうち自分でも演奏したくなってギターを練習しはじめた事や、ギターはいっぱい押さえなきゃいけないところがあって大変だからベースに転向した事を話した。
「手がね、猿手だから」
「猿手とは?」
「見てごらんよ」
彼女は左手を差し出すと指を閉じ、ちょっとお椀にする様に指を第一関節あたりで曲げた。
うん、そうだね、猿の手に見えるよ。
芋を洗うニホンザルの手だ。
手が小さいからベースですら二本指で押さえる。これじゃギターは勤まらない、という事らしい。
彼女は専門学校でバンドを結成し、出来ればプロになりたと思う様になった。
子供の頃の弥生からは想像もつかないが、セブンティーズみたいな音楽をしているんだ、と言った。ジミヘンやジャニスが好きだと言った。
「ライブやるの?」
「来月、ナルシスでやるよ」
「見に行っていい?」


バンド名はフラワーワールド。ドラム、ギター、ベース、ボーカル全てが女の、いわゆる「女の子バンド」だった。
客は俺を含めて10人居なかった。
フラワーワールドってなんだか腑抜けた響きだな、と思ったが、曲は結構激しくて今までの女の子バンドのイメージを覆していた。
音を聞いて時代が変わった事を感じた。
演奏が終わると楽屋へ行き、結構歯の浮く様なお世辞を言ったと思う。 弥生がお豆ちゃんから綺麗な花に変わった、この花を摘みたいと思えばこそ。



で、何が言いたいのかというと、結局思い出話やお世辞を餌にして弥生を口説いていたって事。
イカ天というキーワードで俺の引き出しから出てくるのは弥生だ。リビドーの矛先を向けた弥生という女の子だ。
夜の県庁の裏に車を停めてシートを倒した思い出だ。
20代初期の頃の思い出はそんなのばっかりだが、艶っぽい話以外に何を覚えているかというと、風の強い日に何も無いお台場でデートした時の事かな。
俺達はマルボロの赤箱を吸っていた。
不思議な事に、いくら強く吸っても味がしなかった。
俺だけかと思ったら弥生も同じ事を思ったらしく「風が強くて味がわからない」と言った。
風が強い日はタバコの味がわからない、という事を発見した思い出。



弥生がイカ天に出る事が決まって、それじゃあ画面に登場したら俺にだけ分かる合図をしてくれ、とリクエストした。
「何がいい?」
「出た瞬間に足をクロスさせて両手を上にあげて、それから優雅に下ろしてくれ」
「なにそれ?」
「ほら、舞踏会とかの最後にお辞儀するじゃん、アレだよ」
俺は今でもその時の放送のVTRを大切に持っている。女々しいかも知れないけど持っている。
ビデオがある限り、弥生はいつまでも俺にだけ分かる合図を送ってくれる。
少しだけ若い、審査員のデーブ・スペクターが「フラワーワールドなんて花博の乗り物みたいなネーミングですけど――」と言い続けている。
弥生は結構テレビ向きの顔をしていた。どこかで生きていれば、もうすぐ40歳になるのだが、今では良いお母さんをやっているだろうか。
それとも、再会の時の様に想像しがたい生き様を貫いているだろうか。



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