小学生の頃、幼馴染の田村(あだ名は「タムジン」だった)が給食を食っていた。
それはもう毎日毎日食っていた。
田村はでかい。太っているのではなくでかい。でかいから食うのか、食うからでかいのかは分からない。
我々と同じ量を、我々と同じ時間内で食うのだが、とりわけ俺の中で田村は、どんな級友よりも「給食を食う」イメージが強かった。
ある日、女の子が「あたし、これ食べられないから田村にあげる」と言って、自分の給食に出された献立の一つを田村に差し出した。
おそらくその子も、田村に対しては「給食を食う」イメージが強かったのだと思う。だからこそ田村にあげたのだと思う。
「俺、くっちゃうよぉ~?もらっちゃうよぉ~?」
田村は、女の子からの食料が自分の皿に移された瞬間、お預けを食らっていた犬が「待て」を解かれたかの如く食った。
一心不乱に食った。
それはもう、貪り食う、と言ってもいい位の勢いで食った。
俺は泣いた。
悲しくて泣いた。
何故泣けたのか、その時は分からなかった。
まわりの友達も「なんで泣いているんだ?」と不思議なものを見る顔をしていた。
今更ながら思い起こすと、それが「人間は不完全でいびつな形をしている」事を知った瞬間だったのだと思う。
それは「業」の体現であった。人間は「食うこと」から逃れられないのだ、人間には逃れられないものがある、という事実を、まじまじと見せつけられた事象だったのだ。
今でも食う人を見ると切なくなる。