幸せって言葉はあるけど、幸せの実体はよくわからず、不可解だ。

幸せの尻尾をつかんだと思ったら、それは幸せとはまた別ものだった、あるいは「その瞬間は幸せだった」とか。


何とかなるだろう。でも「何とか」は望んだ未来じゃない。時間という川を、自我といういかだに乗って流されて、さて、どこへ向かっているんだ?その流れは均等のリズムで進行し、いつか「何とか」という岸にたどり着く。それが「何とかなる」ということだ。


いかだに乗っていると、錯覚を起こす。時間という川の流れは穏やかで、鏡の様な水面は一見、そこで止まっているかに見えるが、時おり誰かが小石を投げ入れ、滑らかな水面に細かい波を立てる。細かい波は、川の流れに押されて歪む。歪みを垣間見たその刹那、そこに時間という川があることを思い出すのだ。


流されたいのか?否、舵取りをしたいのだ。

いかだに乗ってはいけない、自在にあやつることの出来る、立派な舵のついた船に乗るのだ。





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