俺は大手不動産会社に勤務する営業マンである。
いや、今はまだ営業部に在籍している、と言い直そう。
法的知識、土地、建物の細部に渡る専門的な知識などが必要で、さらに、ここ一番の交渉力も試される、やりがいのある部署だ。
そんな俺が先日、不意に営業本部長から呼び出された。
灯りを落とした本社応接室には、俺と本部長の二人きりだった。
向かいに座った本部長は静かに、かつ単刀直入に語り始めた。
「不動産不況のあおりを受け、当社も縮小を考えざるを得なくなった。なので、工事部に異動してくれないか。どうしても営業がいいと言うなら、他の会社に移って、そこで手腕を振るってくれ」
それは実質上の人員整理だった。
何故俺が?新しい現場の決済、施工する工事部への引渡しもまだなのに、俺にはやるべき仕事があるのだ。
「家が売れないんだ。売れないのに人ばかり雇えないんだよ」
異動となれば、給与は大幅に減るだろう、と本部長は言った。
不本意な異動と大幅な給与カット。
これから子供が生まれてくる大切なときなのに・・・
だが、組織なのだ。組織とは生き物だ。時により姿かたちを変えざるを得ないもの。
我を通して逆らうのもいいだろう。だが、上層部の決定に逆らうことは、会社を否定することに繋がる。
会社を否定するものは異物だ。
「時間を下さい。家族と相談します」
相談するとは言ったが、俺の心の中はある程度固まっていた。この不況下の日本に、世界に、40歳を超えた男を、前職と同等の条件で雇ってくれるところがあるとも考えにくい。
不本意な異動ではあるが、受け入れよう、と。
妻に話すと、妻はしばらく泣いた。子供が生まれるのに、どうするのよ・・・と泣き続けて、そのままソファで寝てしまった。
俺は妻の傍で何もすることが出来ず、レースのカーテンの向こう側の、夕景から暗闇になるまでの色彩を見続けた。
今朝、本部長に電話して、異動を受け入れることを伝えた。
どんな地獄が待っているか、まったく分からない。
分からないなりに、手探りで生きていくしか無いのだろう。
助けてくれ!と心の奥底で叫ぶ。そして、その声に応えるのは自分自身でしかない。