燃費はリッター4キロくらいだった。それでもガソリン代が高くてかなわない、なんて思った事は無かったね。ガソリン代につぎ込む金員よりも、それを所有することで得られた快楽の方が、何倍も素晴らしかったからだ。
「金持ちの自慢話か?」と思われるかも知れない。でも、そうじゃないんだ。計算してご覧よ、例えば今時の軽自動車の燃費は、10モード燃費約20キロくらいと言われているじゃないか。でも街中を実走してみれば、大体10キロくらいだろ?そもそも、一定の条件のもと測定された10モード燃費なんてものはあてにならない。で、もし実走で100キロの距離を移動するには、それが軽自動車でも10リットルが必要だ。
一方、メルセデスの燃費が実走4キロだとして、100キロを移動するのに25リットルが必要だ。その差、15リットル。今現在のガソリンの小売価格がリッター97円、15リットルなら1,455円の差だね。でも、日常生活で一気に100キロ走る事なんて、そうそうない筈なんだ。そう考えると、1,455円をどう見るか、だよね。
つまんないことに簡単に費やしてしまうだろう?1,455円なんて。
だったら、意にそぐわない軽自動車やリッターカーなんて買わずに、セクシーな車を買った方が好いのだ。
当時の俺の稼ぎは決して高くなかった。むしろ低所得者の域だったと思う。それでも国産リッターカーや軽自動車なんか買う考えは皆無だった。断固としてメルセデスを購入したのだ。理由は単純、まず何より「メルセデス」であること、そして室内が広いこと、スタイリッシュであること。肝心の燃費は、俺の審査基準からすると問題外だった。
購入したのは1969年式の280CEというモデルだった。
こいつのポテンシャルはなかなかご機嫌で、まず、シートが限りなく倒れる。ヘッドレストを外すと、一見フルフラットの様に見える。それが気に入った。車内での情事には都合が良い。
ハンドルがもの凄く切れて、下手な国産小型車よりも鋭角を曲がる事が出来る、なんてのも素晴らしい。
前後のウインドウを下げると、ピラーレスの窓がオープンカー感覚を味わわせてくれる。
スタイリッシュという点で特筆しなければならないのは、ポジションランプが妖艶だったことだろう。妖艶さで言うなら、過去から現在に至るまで、タテ目ベンツの右に出るものは無いと思う。日没後の、チョッとだけ陽光の残るトワイライトの時間に、タテ目ヘッドライトのぼうっとしたポジションランプの光る様は、ラグジュアリーな夜会を思わせてGOOD。実物を目の当たりにしないと分からない感覚なので、今さらそれを見ようと思ってもなかなか適わない事ではあるが、どこかでメルセデス280CEを見かけたら、オーナーに頼んで、夕方のトワイライトの時間帯にぼうっと光るポジションランプを見せてもらうといい。下半身が熱くなること請け合いだ。
そんなメルセデスで、俺は何人の女の子を口説いてきただろう。
女の子を車に乗せて、数分後には女の子に乗っていた。
思うんだ、車は実用性を重く見なければいけないという主張は間違いじゃない。でもそれは、ワクワクする快感があって、その次の次だ。
快楽の無いものに実用性を求める、そんな人生の何が楽しいのだ?



