1・ さみしさを紛らわすためにネット上に仲間を作ったが、数年の後、さみしさの大元が解決され、俺はネット上に存在した何百人の仲間たちと疎遠になった。
問題解決は好ましいが、それがまた新たなさみしさを招くことになろうとは、なんとも皮肉である。
いつでも、どこでも、人間関係が生まれるかぎり、我らはさみしさと付き合い続けなければならない。それが良いことか悪いことなのかは、俺にはまだわからない。
2・ 超自然の神通力を求める、いわゆるスピリチュアリストたちは、神通力とは正反対のところに真の力が存在することに気が付くべきなんだ。
その証拠に、神通力を使おうと思って、おまじないを実践しているときより、わらをも掴む思いで必死に現実と戦っているときのほうが、結果として大きな力に庇護されている様に感じるではないか。
3・ 仏教で説かれる三悪のひとつ「嫉妬」は、傍から見れば同情じみた風情だが、結局のところ、子供がだだをこねるのと同じ様なもの。嫉妬するうちは、己れを高められていない、ふわふわと中空を漂う未熟な魂であると思う。
4・ 「最近の若い者」のことを、時折思う。凶悪なイメージでとらえる人、怠け者のイメージでとらえる人、人々の意見は一様である。
若い者、という響きには、良い印象が無い。だが実際は、若年の凶悪犯罪は減少傾向だし、就業にしても、バブルのころより意欲的だろう。
残念ながら、いつでも若い者はろくでなしなんだ。
でもね、その「ろくでなし」どもが、歳をとり、大人になって、今の社会を成り立たせたことを忘れちゃいかんよな。
5・ 久々に仲間たちと会った。30人は集まったか。
死んでしまった友の三回忌と、その友を看取った友の誕生日と、あわせての会合だった。
それぞれが好き勝手に語らいあう中、最期を看取った誕生日の友がマイクをとり、皆の前で語りはじめた。
「実は、奴がいよいよダメだとなって、考えたんだ。ビデオメッセージを残せたらな、って。
で、奴にカメラを持たせたんだよ、友達ひとりひとりに何か言え、ってね。
奴はホントに丁寧に、ひとりひとりにメッセージを録画したんだ。
三回忌にはみんなでそのビデオを見るつもりだった。
でも、ごめん、俺、うっかりそのビデオに重ね撮りしちゃったんだよ。
・・・サイテーだよな。
だから、あの時あいつがしゃべった内容を、ひとりずつ個別に話します」
彼はその後、ひどく酔っぱらって、電話と上着と家のカギを残したまま行方不明になった。
6・ 期せずして今年最後の日の出を見た。最後の日の出は、来年の初日の出と、そう変わらない。
クリスマスはキリストの誕生日とされているが、実際は違うとも言われる。
一年で最も日が短くなる冬至のころ、これから少しずつ日が長くなるのを祝って、訪れる新しい年に、新しい命に感謝を捧げる古い祭りを、いにしえのキリスト教信者が神の子キリストの誕生に掛けたのだ、と。
元日は地球と太陽との距離が最も近くなる。
クリスマスから元日に掛けては、我ら生きる者の根幹「太陽」を思う時期なのかも知れない。
太陽は、神道でいうところの天照大神。初詣だ。