手を掛けてあるとは言いがたい凡庸な境内に、来客をもてなす花は無かった。季節は冬を迎えようとしていたが、それにしても花の一輪も装飾のない庭は殺風景で、それが彼をいつも悲しませた。花くらい出せよ、寺だろ?庭は無粋だが、本堂正面に日差しがさんさんと降り注ぎ、まばゆいばかりの黄金の本尊が、まるで自ら発光する如く輝いていた。この本尊のあるせいで庭にまで金を掛けられなかったのではないかと思うほどである。
彼は、誰もいない本堂で金色の盧舎那仏と対峙し、香を焚き、長い時間を掛け丁寧に経文を唱えた。彼にとってそれは、来廟の挨拶であり、由紀子の冥福を、仏の慈悲を願う祈りだった。それがひとしきり終わると、彼は持参した花を持ち、墓に向かうべく立ち上がった。そのとき、香のかおりとは明らかに違う、とても懐かしい香りが弱く漂い、彼の鼻をくすぐった。
・・・由紀子?
その香りは生前、由紀子が愛用していた、パヒュームのやさしい香りだった。
ふり返ると、盧舎那仏は心臓の鼓動を得たかの様な、先ほどとは明らかに違う妖艶な微笑を浮かべていた。それは午後の光線がもたらした視覚的な変化だったかも知れなかったが、彼にはそれが由紀子の魂が乗り移ったとしか見えなかった。
実は、そのパヒュームの香りの主は、先ほど立ち寄った花屋の娘であった。手首に、点けたか点けないかほどの控えめな香り、彼がそれに気がつかなかったのは、花々に囲まれた店内にはパヒュームの香りを打ち消す強い花の香りが満ちていたからである。
仏の慈悲は、花屋にパヒュームをつけさせたところにあった。