一人で駅前を歩いていたら、背後からいきなり「拝見!」と叫ばれて振り返った。閉店後の銀行の前には街頭の手相見の占い師が、テーブルの上に蝋燭を灯していた。あなた、占いなさい、と言うことらしい。占ってもらうほどの悩みは無かったのだが、これも何かの縁と、夜遊びついでに見てもらうことにした。料金は20分3000円。これが高いのか安いのかは分からない。なにしろ占いの類をやったためしがないのだから。
占う項目は、恋愛、対人、仕事、全体運、そんなところだったろうか。大それたことを訊くつもりはなかった。夜遊びの延長なんだから遊びのネタでいいや、そう思い「最近2ちゃんねるにいろんな書き込みをするんですけど、どうも他の書き込みしている人たちに受けが悪いんです。それどころか『お前は色んなところに迷惑掛けてるのも分からないのか』とか書かれてしまって・・・ そもそも何が迷惑なのか、どうすれば皆に迷惑を掛けず、一緒に楽しんでもらえるようになるかを知りたいんです。」と質問した。
彼は最初少し戸惑った。「2ちゃんねる・・・ですか。それはどう言うものですか?」色んな客が来るだろうが、インターネット上のあれこれをわざわざ訊く客など居なかったのだろう。そりゃそうだ、占いとは大抵、切羽詰った人が解決策を求めてやってくるものだ。
「インターネットの掲示板ですよ。」
なんだか急にすまない気持ちになってきた。もうちょっとまともな質問にすれば良かった。彼は、僕がそんな事を真剣に悩んでいると思っている筈だ。なので、自分にとって最大の深刻な悩みであるかの様に真剣なまなざしを装った。そうでもしなければ彼に失礼だと思ったのだ。
「最近はインターネットを通じての人間関係について悩んでおられるお客さんも多いんですよ。」そう言いながら、彼はいくつかの質問のあと、僕の両手をじっくりと見た。しばしの無言の時間が流れ、その間、飲んだ帰りと思われる若者の集団が何組か、人目もはばからず大声で笑いながら僕の背後を通り過ぎて行った。
1分もすると彼はふっと顔を上げ、僕の目をじっと見据えながら、おごそかな物言いで述べた。
「あなたはリーダー格で策士の素質があります。自分がリーダーシップを取れないと我慢ならない性格なんですね。ですから、あまりでしゃばらないように心掛ける事が第一です。ほっておいても、あなたの周りには自然と人が集まります。その場ではいくらリーダーシップを発揮しても構いません。」
「・・・あの」
「迷惑だと思う人が多いのは、あなたが頑固だからです。その頑なさを捨てたときに、あなたは皆の信頼を勝ち取り、一緒に楽しむ事が出来るのです。」
「・・・」
「しかしながら、元来の『策士』としての素質が、転んでもただでは起きないぞ、と、あなたをいろいろと誘惑するのです。その結果やりすぎてしまって、周りの人々には煙たがられるのでしょうね。」
それは自分でも分かっている。僕の話を聞けば誰だって同じ様な事を言うだろう。分かっている事を教えてもらうために3000円払うのではない。もちろん占いの本領発揮はこれからだった。
「・・・それで、すいません、ぶっちゃけその書き込みは匿名の人が多くて、実際誰が書いているのか分からないんです。でも書いてある内容を見ると、どうも近しい人に思えるんですよ。何故その人は僕に対してあれやこれやを書くのでしょう?」
「あなたのお住いは?」
「西口の一丁目、郵便局のすぐ裏です。」
すると彼は地図を取り出し、何か漢字がいっぱい書いてある方位磁石で何かを見ていた。
「西の方角に○○神社という神社がありますね?○月○日か○月○日の午後3時にそこに詣でてください。境内に灯篭がありますから、左の灯篭に手を添え祈ってください。そうすれば願いが叶うでしょう。」
来たぞ、これぞ占いじゃないか、ようやく占いらしい事を言われて少し嬉しかった。しかし、「願いが叶うでしょう」と言われても、こんな場合何が叶うのか?
「あなたのお住まいのご近所に『普段必要ではないけれど、いざ無くなったら困る店』はありますか?」
それは非常に複雑な質問だった。普段必要じゃなかったら、いざ無くなっても困らないと思うのだが、それでも何かしらの答えを出さねば先に進めない。
「すみなせん、それは何に有効なお話なんですか?」と、その禅問答並みの出題に対してヒントを求めた。
「その店があなたのラッキーポイントなんです。もし心当たりがおありなら、その店で何でもいいから買って、『必要じゃなくてもあえて使うように』してください。『使う事』によって運気がアップします。」
占いはそこまでだった。
何か釈然としないまま僕は3000円を払い、その場を後にした。
家の近所には画材屋がある。オーナーは中堅どころの洋画家だ。その店は確かに「普段必要ではないけれど、いざ無くなったら困る」人は多いと思う。
絵を描かない人には無くなっても困らない店だ。しかし、絵を描く人には必要かも知れない。そしてそれは僕にとっても同じ事が言えた。
僕はたまに絵を描くのだ。なので絵の具や筆など、画材に困ると僕はその店をよく利用した。その店が無いと、電車に乗って画材を買いに行かなければならなくなる。それはちょっと不便だ。
遊び半分に見てもらったとは言え、気になったので何か買う事にした。
と言っても、「普段使うように」との事なので、当然普段使い出来るものでなければダメだ。絵の具や筆は絵を描く時にしか使わない。ましてやテンペラ油とかキャンバス地などは問題外。
画材屋で買い求められる「普段使うもの」とは何だろう。
結局小型のスケッチブックを買い求めた。これなら様々な用途に使う事が出来そうだ。
僕はそれをブログを書くためのネタ帳にした。
最初のページを開き、こんな風な事を書いた。
●占い師は年中客に神社だの日にちだの方角なりを教えているが、いざ自分が困った時も自分で自分を占い、良い方角の神社に詣でて灯篭に手をかざし祈るのだろうか?
●その結果、問題は解決出来たのだろうか?
●それとも、自分で占うのも何なので、他の占い師に見てもらうのだろうか。例えば医者が病気になった時に他の医者に診てもらう様に。例えばローソンの店員がセブンイレブンに買い物に行く様に。
●そもそも客に教える神社のことを、占い師は熟知しているのだろうか。どんな神様が祀られていて、どんなご利益があるのか、等。
●背中が曲がった、靴に艶の無い、そんな風体の占い師を見かけると、こっちがアドバイスしてあげたくなってしまう。
●大抵の占い師は金持ちには見えない。
●大抵の占い師には客が居ない。(だから僕が捕まった)
●2ちゃんねるの事を人に話すのはやめよう、恥ずかしいから。
●地元の友達は大切にしよう。
こんなふうに心にうつりゆく事を書きつづけて行けば、僕の運気はアップするのだろうか。書いてある内容を読み返してみたが、最後の「地元の友達は大切にしよう」以外はどことなく不幸テイストだ。
運気の上昇は直ちに目に見えてくるものでは無いのかもしれない、だから、じっくりと待つ事にしよう。でもその前にこのスケッチブックが埋まってしまったらどうするのだろうか。運気がアップするまで僕はスケッチブックを求めつづけなければならないのだろうか。
そもそも2ちゃんねるについて占ってもらったわけだが、これが仕事を決定する相談だったり、新居を決める相談だったりだとしたら、ちょっと考えてしまう。占い師に見てもらうより、地元の友達にあれこれ相談した方が面白い意見もたくさん出てきそうな気がする。
大切な事を思い出した。
肝心の「何故その人は僕に対してあれやこれやを書くのでしょう?」という質問はスルーされたのではなかろうか。