昼間のクソ大渋滞からは想像も出来ないほど真夜中の道路上には誰もいない。6車線道路のずっと向こうまで街灯は連なり、上空にそびえる首都高速道路と相まって「赤く光る巨大ムカデ」の様だ。俺と加藤は獲物を探し、かれこれ一時間は走っただろう。毎週決まって入れ食いの土曜の晩ならいざ知らず、平日の今夜はどうもヒットしない。やつらが平日に出てこないとなると、案外、昼間はちゃんとした職業についているのかも知れない。俺たちの頃は完全にドロップアウトした奴らばかりだったが、集団で走ることすら無くなった最近の族(・・・族じゃないな、なんて呼んだらいいのか)には、俺たちには分からない彼らなりの事情があるのだろう。もっとも、この世知辛い世の中でちゃんとした職業についていなければ高価なガソリンすら買えないから、リスクを冒し駐車中の車からガソリンを盗むでもしなければ、昔の様な生き様を貫くには、なかなか難しいのが現状だ。血のにじむ努力で稼いだ金を、真夜中に爆音を撒き散らすだけのアホな走りにつぎ込むのか?バカというか意味不明というか、そんなことで面白くなれるのだから、うらやましいとも思ったりする。まあ、もっとも俺たちだって、やってる事は奴らと変わらない。俺たちは追う方、奴らは逃げる方という立場の違いはあるが、自己満足であるには変わらないのだ。ただ、唯一奴らと俺たちの大きな違いがあるとしたら、奴らは恐怖を覚えるだろうし、俺たちにはこの上ない喜びが待っているだろうということだ。そろそろ奴らは気がつく筈だ、ゲームは奴らが始めるんじゃない、俺たちが始めるのだということを。それを察知してか、最近はちょこまかと走り回る奴らを見かけることが少なくなった様な気がする。ひょっとして俺たちは社会貢献をしているのではなかろうか、と、ふと思ったりもするが、結果が血みどろの惨状では反社会的であることは明らかだ。俺たちは飽くまで「ゲーム」をしているのだ、結果がどうあれ、俺たちは過程のみを求めていることを暗黙のうちに申し合わせていた。山手通りを真っ直ぐ進み、中野方面へ右折すると、誰もいない道路のはるか向こう側に、左右に揺れるテールランプが見えた。ああ、見つけた。居やがった。街灯の多い幹線道路と違い、真夜中の生活道路には夜の闇が重くのしかかっていい感じ。この闇だ、これが俺らの血を騒がせる。エンドルフィンが音を立てて脳内に溢れるのが分かる。それは加藤も一緒だろう。俺と加藤はお互いを見合い「いくぞ」という意味合いのハンドサインを出した。俺たちは一気にアクセルをひねり、強大なエンジンのひねり出す極太トルクに任せるまま、一気に160キロまで加速した。そして、テールランプの手前約500メートルあたりまで近づくとキルスイッチを押し、エンジンの火を落とした。全ての灯火を消し、惰性だけで奴らに近づくのだ。先ほどまで響かせていた野太いエンジン音は、チェーンの回転するシャリシャリした乾いた音だけとなり、奴らに聞こえることはないだろう。暗闇から高速で忍び寄る様は、まるでステルス戦闘機で隠密の破壊活動をする爆撃パイロットの気分だ。あと100メートル・・・50・・・4・・・3・・・2・・・
かくして、理不尽なルールは実行され、あわれ幾人かの若者が冷たいアスファルトに倒れた。
ある者は四肢に支障をきたし本来自分のものだった筈の自由を失い、ある者は持たなくても良かった筈の暗い怨恨を抱いた。
これは極端な事例ではなく、我々が日常を暮らす中に充分起こりうる珍しくもない事件だ。
おのれ以外の存在にとって何が大切なのか積極的に知るはおろか、想像だにしないのが人間の根っこである。
我々には、誰が追うか、誰が追われるかしかない。