中学生の頃、何でか分からないが俺を毛嫌いする女の子が二人居た。一人はGさんとしておこう。Gさんは俺と口を訊かなければならなくなると、他のクラスメイトと話をしている時に見せていた100万ドルの笑顔をさぁっとかき消し、憮然たる態度、ぶっきらぼうな物言いで臨んだ。で、俺がその話の内容を良く理解出来なくて「すまない。もうちょっと詳しく教えて」とでも言おうものならその都度キレていた。 家が近かったので、彼女が病気で学校を休むと届け物は俺が持っていかざるを得なかった。が、彼女はありがとうを言わないばかりか「何であんたが持ってくるのよ!」と怒る始末。それほどGさんは俺を嫌っていた。 その後俺達は卒業して、俺は近所の男子校に、Gさんは都内の共学の高校に進学し、ようやくお互いの顔を見ずに済む様になった。高校に入ると俺はバンドを始めて、文化祭ともなればステージをところ狭しと活躍した。野外ステージでフリージャズ系のバンドをやっていた時の事だ。Gさんが客席の最前列で、はちきれんばかりに両手を振っているではないか。俺には決して見せた事の無いあの満面の100万ドルの笑みをたたえながら。ステージが終わってソデに隠れると、Gさんはズンズンとソデまで入ってきて「西村すげぇカッコよかったよ!」と100万ドルの笑顔で握手を求めた。 分からない。ほんの半年前まで俺のことが大嫌いじゃなかったのか?そんなにコロッと女心は変わるものなのだろうか。中学校を卒業した、と言う区切りがあれば、今までの気持ちも全てリセット出来るのだろうか。



そしてもう一人。仮に鈴木さんとしておこう。 彼女は俺を「しったか」と呼んでいた。どうも、休み時間中の雑談で、俺が毎回、無用な雑学を披露することが癪に障ったらしい。そしてGさん同様、俺の事を滅茶苦茶差別した。 俺という共通の敵があったせいか、鈴木さんとGさんは何となく仲が良いふうに見えた。 そして卒業。鈴木さんは、卒業時期の行動としては非常にありがちなパターンではあるが、俺を体育館の裏に呼び出し、学生服のボタンをねだった・・・え?何で? 俺のことが嫌いじゃなかったのか? うつむき加減に鈴木さんは語った。本当は俺のことが好きだった、でもGさんが俺を毛嫌いしている様を見ていたら、なんとなく同調しなきゃいけない気がして、それで彼女と一緒になって俺を毛嫌いしているフリをしていたと言うのだ。 女の子は分からない。 鈴木さんは「しったか、って呼び方も今日で終わりにするから、これからはNクンって呼ぶから、あたしと付き合って」と言った。さっきまで俺を大嫌いな筈だった女の子に「付き合って」と告白された。 彼女が惜しかったのは、俺の制服の第二ボタンはもう既に無かったと言う事、俺には既に好きな人が居た事だった。当然、お付き合いはお流れになった。もうちょっと早く言ってくれれば状況は変わっていたかも知れない。



と言うか、腑に落ちない。何故なら「毛嫌いするフリ」をしているだけなら、俺を侮蔑する「しったか」なんて仇名は付けないと思う。そう考えると、「毛嫌いするフリ」ではなく、本当に「毛嫌いしていた」のだと考えるのが妥当ではないか。 この二人に共通するのは、「俺と言う人物を知りもしないで断罪した」ところだ。もっといろんな面で俺の事を知ってさえいたら、もうちょっと有意義な時間を過ごす事が出来たかも知れない。それは今さら言ってみたところでどうしようもないが、そんな過去から俺は「女性はちょっとした事でその人を簡単に位置付ける」と思っているのだ。





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