気温24度、あと少し気温が上昇すれば夏日である。
桜の花が終わり、広葉樹の枯れ枝からは色も鮮やかな若葉色の新芽が萌え出ている。
山はどうか。山全体が様々な種類の若葉色で彩られて、それはきっと見事に違いない。
山が笑う、といにしえの人は表現した。
これから命あふれる夏を迎える山が、新しい季節の到来を笑って迎える。
夏の広葉樹は大きく葉を広げ、遠巻きに見るとどれも皆同じ様な葉に見えるものだが、この時期の新芽には様々な形がある。
桜の花も美しいが、新芽の頃の葉の形も実に見事だ。


太陽の角度と大気の湿度が、なつかしい夏の午後の光線を醸し出している。
はっきりとしたコントラスト、例えようの無い抜ける空の青。
こんな日に仕事をするのも勿体無い話だが、例え遊びに出る事が適わなくても、営業車の車窓に映える景色を堪能するだけで充分に心は躍った。
カーラジオから流れるのは、今や遅しとばかりにミュージシャンたちが夏に向けて温存していた曲のオンパレードだった。
夏の音楽は素晴らしい。夏の音楽には「別れの曲」が少ないのがいい。
何につけても夏はエネルギーに溢れている。


ラジオのDJが「それではこの夏一押しの曲を、スタジオから生ライブでお届けします!」と言った。
誰かゲストに来ていたミュージシャンが、その場で演奏するらしい。
ちょっと待てよ。待ってくれ。
ハンドルを握りながら俺はDJに突っ込んだ。

「生ライブって何だよ。ライブだけで充分『生演奏』って意味だぞ?生ライブじゃ『生なま』もしくは『ライブライブ』じゃないか。英語が使いたいなら『ライブパフォーマンス』とか言えよ。なんで日本語の『生』が入るんだよ。ニュースの中継だって普通『ライブ映像』って言うじゃないか。決して『生ライブ映像』だの『生ライブ中継』なんて言わない。『生映像』や『生中継』ならあり得るだろうが、そんな一般的な例などこれっぽっちも考えず、何故ラジオの人は二重肯定みたいな事をするかなぁ。日本語の乱れ以前に、言語の乱れだぞ。ひょっとして『生』を付けなきゃならない事情でもあるのか?例えばオンライン・ライブとかインターネット・ライブと差別化しようとしているのか?ラジオはインターネットよりも偉いのか、と。だからラジオ局のスタジオでライブ演奏をする事に格差を付けたいのか?スタジオで演奏するのは『スタジオライブ』って言うんだぞ?そもそもライブパフォーマンスを縮めて『ライブ』と言っているに過ぎないのに、どうして『生』を強調したいのだろうか。大多数の日本人が『ライブ』を『演奏』という意味のみ意訳していると思い込んでいるのか?俺達はバカか?バカですか?だいたい、ラジオでライブをやっても、俺達の耳に届く時には『カーラジオから流れてくる音』なんだよ。ライブじゃねぇんだよ。ライブってのはもっとこう、同じ空気を共有するってぇか、同じ空間の中で音の波を感じる事を言うんじゃねぇか?違うか?目の前で同じ空気を吸っている者同士の連帯感がライブじゃねぇのかと小一時間to(ry