かなりの急角度で続く石段の一段一段には、毛筆で漢数字の書かれた箱が置いてあり、それぞれの箱の中に1円玉が数個ずつ、納められていた。セミしぐれの中、俺たちは無言でのぼった。ほど良く曇り空で、直射日光に肌を刺されることもなかったが、夏の蒸せ返る熱気に変わりなかった。日傘をさす妻のワンピースの背中が汗に滲んでいた。
火渡りなどの行事かあることを掲示板のポスターが伝えていた。鑑みると、ここは山伏の修行をする神仏混交の神社である。
四国のこんぴらさんと両参りするのが江戸時代からのスマートな詣で方らしいが、こんぴらさんと比べ、はるかに人は少なく(少ないのではなく、俺たち以外に誰も居なかったと言うのが正しい)地元の人間以外に、両参りの風習は知られていないのだろう。
妻の両親からお札が送られてきて半年、毎朝初水を供えるたび神棚のお札の文字をたどりながら、そこがどんなご神域なのかを想像していた。
ようやく由加神社に詣でることができたのだ。
拝殿に上げて頂き、白い狐に護られたご神鏡と対峙した欲深い俺は、あれやこれやの埒もない沢山のお願いごとをしたが、正直なところ、それらお願いごとの全てが空々しく、実は願うべきことなどひとつも無いのがほんとうではないか、と思った。
世の願いの殆どは人次第でなんとかなる。それを超えた深遠な願いなど、凡夫に思い付くはずもない。
ご神域を区分ける鳥居は巨大な備前焼で出来ていた。触れてみると、赤い地肌は見た目以上にやわらかく、人肌のぬくもりを感じた。
奥の院に通じる石段をのぼると、先ほどの参道にも増して急な傾斜だったが、まるで誰かにつまみ上げられたかの様に体は軽かった。