子供の頃、どうして小説家はホテルに缶詰になって作品を書くのか分からなかった。自分の家で書けばいいじゃないか。顧みれば、近代の文豪たちも旅先の旅館で筆をとった。
40歳を超えて、ようやく俺は俺なりにその答えを分かったと思う。
つまり、ホテルや旅先には自らを縛る規約が無いのだ。何を飲みながらだろうと、何を吸いながらだろうと(場合に寄っちゃ、女の子を呼ぶ事だって)
例えば俺の場合、何か文章を考えるときにはコーヒーとシガレット、もしくは上等の洋酒及びシガレットが嗜めないと物足りない。だが、結婚して妻と取り交わした約束の中に「部屋の中でタバコを吸わないこと」があるものだから、創作時の嗜みが出来ず口さびしい、鼻さびしい感じがする。今では、何らかの創意が沸くと、外のベランダにきちっとタバコを準備してから取り掛かる。部屋の中でキーを打ちながら、いいくだりが書けた時にベランダに出て、おもむろにシガレットやらシガーやらをくゆらせ味わう様にしている。
そもそも、どうして文章を考えるときに酒やタバコなどの刺激物が必要なのかと問われれば、それは単に自分の世界を楽しみながら美味いものを味わいたい、という事なのだ。その効果は絶大で、綺麗な海や山の景色、桜の花を見ながら酒を飲むのと一緒で、大変気持ちがいい。
表現者は大抵が自分の作品に酔う。酔わなければいいものなど絶対に出来ない。つまり、作家がホテルで缶詰になるのは、自分なりのカンファタブルを得るため、より自惚れるためなのだ。
40歳を超えて、ようやく俺は俺なりにその答えを分かったと思う。
つまり、ホテルや旅先には自らを縛る規約が無いのだ。何を飲みながらだろうと、何を吸いながらだろうと(場合に寄っちゃ、女の子を呼ぶ事だって)
例えば俺の場合、何か文章を考えるときにはコーヒーとシガレット、もしくは上等の洋酒及びシガレットが嗜めないと物足りない。だが、結婚して妻と取り交わした約束の中に「部屋の中でタバコを吸わないこと」があるものだから、創作時の嗜みが出来ず口さびしい、鼻さびしい感じがする。今では、何らかの創意が沸くと、外のベランダにきちっとタバコを準備してから取り掛かる。部屋の中でキーを打ちながら、いいくだりが書けた時にベランダに出て、おもむろにシガレットやらシガーやらをくゆらせ味わう様にしている。
そもそも、どうして文章を考えるときに酒やタバコなどの刺激物が必要なのかと問われれば、それは単に自分の世界を楽しみながら美味いものを味わいたい、という事なのだ。その効果は絶大で、綺麗な海や山の景色、桜の花を見ながら酒を飲むのと一緒で、大変気持ちがいい。
表現者は大抵が自分の作品に酔う。酔わなければいいものなど絶対に出来ない。つまり、作家がホテルで缶詰になるのは、自分なりのカンファタブルを得るため、より自惚れるためなのだ。