この高原から見える景色は全てが南に傾斜しており、南の空がまるで劇場の舞台の様に高く見える。夕暮れの衣擦れは徐々に遠くなり、地球の自転が最も早い赤道に近いバリ島は、あっという間に空を真っ黒に染めるのだ。その黒は、実は青が濃くなったものだということを実感させる見事な藍色が、昼と夜の境目の僅かな時間、空を覆う。南十字星が見える。
Y子と踊った日々はもうふた昔も前になるが、きっと海辺の繁華街は今でも変わらず、まばゆいライトに照らされて、オージーやヨーロピアンたちが闊歩するエキゾチックで怠惰な雰囲気に包まれているのだろう。
遊び人だったくせに、なんでこんな田舎に嫁いじまったんだろう、そう思いながら俺は、木製の椅子とも踏み台とも言えるものに腰をおろして、隣に住む姑が淹れてくれたコピをすすりながらY子の帰りを待っていた。
満天の星が手ですくえるほど煌く夜になって、ようやくY子は帰ってきた。Y子の亭主は胸板の厚い、ちょっとジョンローンに似たいい男だった。泥の付いたTシャツにはリーバイスそっくりのリーブスというロゴが描かれていた。アパカバール?バイクバイクサジャ。月並みの挨拶を交わすが、愛想笑いを残すと、亭主はそのままマンディに向かった。
この子はこんなに歯が白かったのだ、と思わせるほど歯の白さが目立つまでに焼けて真っ黒になったY子は、もはや俺の知るY子ではなかった。ネイルアートをしていた指は、ボロボロになった爪が土を含んで黒ずんでいたし、プアゾンを漂わせていた肌からは饐えた汗のにおいがした。
「あの時は絶対この人だ!って思ってたのにね。今さら考えると焦りすぎちゃったのかな、って思うことはある」
20数年ぶりの再会にも拘わらず、Y子はマンディにも行かず、饐えた体臭にも気を遣わず俺の傍らの地べたにしゃがみこんだ。
「変わったね」
「変わらなきゃ生きていけないもの」
彼らの子供たちが姑の家から出て、走り寄ってY子に抱きつく。子供たちのTシャツも父親のリーブスのTシャツ同様、泥沁みで汚れていた。
「家族が居るとね・・・後戻りできないじゃない」
思い通り、楽園で生活してるじゃないか。
「楽園?見れば分かるでしょ?アマンダリとは雲泥の差よ」
それは君が選択したんだ。
「そうね」
失敗したんじゃない。君はこんな絵を、今まさに描いている最中なんだ。
君が納得するかどうかは分からないけど、少なくとも傍から見ている俺には面白い絵だと感じるよ。