悪い世の中になればなるほど、人は目に見えないものに頼る様になる。確実な未来があるのだと約束めいたものが欲しくなる。

結局のところ、確実なものを手に入れたいなら、自らの信じる道を一歩一歩あゆまねばならないことは歴史が証明している。濡れ手に粟を期待するうち、時間はどんどん駆け足で行き過ぎる、そんなもんだ。

げんを担ぐのは悪くない。世間に注目される様な成功者は大抵、大なり小なりのげん担ぎをしてきたはずだ。担いだげんが、結果として何かしらの成果をもたらすなら、どんなおまじないでも試すだけの価値はある。

だがきっと、そこに弛まぬ努力があったからこそ、結果としての成果が残ったのだ。げん担ぎが気分を盛り上げたことは否めないが、本質は努力であろう。

げんを担ぎ過ぎ没頭し過ぎて、そればかりに溺れることは、アンバランスこの上ない。バランスを欠いて良いことなどひとつもないはずである。

つまりまあ、げんを担ぐ前に、バランス感覚を養うほうが先決だ、という話。

実はこれが一番難しい。





にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ


にほんブログ村