タバナンの深い闇は、その向こう側に広大な田んぼが広がっている。
広がっているが、深夜に見えるのは、手を伸ばせばすくえそうな満天の星空だけだ。
バリの米どころであるタバナンの大地には、バリのありとあらゆるものの魂を育む強大なパワーが宿っている。それにもかかわらず、田んぼは何も主張することなく、濃厚な闇を纏って沈黙し続けている。
車一台がやっと通れる畦道の様な細い道を、コミンのランドクルーザーは向かうところ敵無しとでも言いたげに猪突猛進する。
ようやく到着した先生の家の前には、裸電球でぼんやりと浮かぶサンヒャン・ウィディワサの護符。車を降りると、もう慣れたのか、良く吼える筈の先生の犬が、吼える事無く尻尾を振って出迎えてくれた。
犬に導かれるまま奥に進むと、先生のテラスにはお弟子さんが4人、先生を囲んで語り合っていた。彼らが何を語らっていたのかは分からない。出来れば日々修行を共にするお弟子の言葉を聞きたかった、というのが本音だ。
「よし、おまえ達は帰れ」
先生が手を上げて彼らに指示した。
お弟子たちは俺たちとすれ違いざま、たなごころを合わせてマントラを唱えた。
「勘違いをする人間が多すぎて辟易とする。パワーとはただ一種類の特殊な力という訳ではない。大抵の人間が、パワーとは『一定の特殊なベクトル』だと思っているが、それは間違いだ。
ベクトルは各方面に満遍なく伸びる。何千何万という種類のパワーが、中心となる貴方自身から、仏陀の後光の様に伸びている、そんな風に考えてくれ。
あなたの備えたパワーがどんなものなのかを知りたいなら、まず教えよう。事物を観るのは『観察力』と『洞察力』。特殊な力を使わずとも、慎重ささえあれば、ある程度、観たいものが観えるのだ。
それはパワーの一種である。全てではない、一種。
その他にもたくさんのパワーの種別がある。いいパワーもあれば、悪いパワーもある。都合により魂を静寂の中に置き、場面場面での対応を考える事が出来たならいいだろう」
酒を飲んでいる訳ではなかったのだが、聞いている俺たち二人は何故か赤ら顔だった。