「知ってますか?UFOや幽霊は人間の脳みそが作り上げた幻だって、どこかの医学博士がテレビで話していましたよ」
恐らく、うんざりしていたのだろう、俺の得意なUFO体験談を遮って彼は続けた。
「人間の見ている世界の大半が、脳みそが作り上げた幻想の世界なんです。それに振り回されていては貴方らしくない」
その語尾には、俺の語る「非科学的」なものに対する嫌悪感が感じられた。そうかもしれない、でも、そう否定的だと世の中の全てが面白くなくなるじゃないか、穏やかに答えたが、彼は徹底的にそれには賛同しかねる旨の意見をたくさん並べた。
これ以上の議論はお互いの人間関係を崩すことになりかねない、俺はささやかな自己主張を、そっと胸中に仕舞い込んだ。
だが、世の中には不思議な体験をする人があとを絶たない。
この話はUFOを肯定するしないの文章ではない。UFOは飽くまで喩えとして聞いてもらいたい。
古い知人女性は埼玉県川口市南前川二丁目にて、体長2メートル、目も鼻も口も無い、全身が象の皮膚の様にしわしわで茶褐色の得体の知れない生物に遭遇している。彼女はもともとUFOや宇宙人などに微塵の興味も無い人だ。そしてその人が助けを求めて対応した別の知人男性は、彼女を救出後に帰宅した自宅付近の更地にUFOが着陸しているのを直近で目視確認している。
その事実は時間の流れのはるか彼方に流れ去ってしまったが、体験した本人たちは、その恐怖の体験を「幻だ」の一言で片付けられてはたまらないと思っているだろう。
些細なことが、実は当人にとって大切である事象がある。それを理解しないから不和は生じるが、その不和をもひっくるめて「人間の世界観は大半が幻だ」と言うなら、どうせ幻の世界に生きているんだ、つまらぬいさかいはやめて「そんな世界観もあるんだなあ」とスルーすればいいじゃないか。
二人の古い知人は、当時の記憶を語りたがらない。語ったところで誰も相手にしないからである。
それは寂しい。
人の気持ちを理解することが癪に障ることもあるが、なんとか努力でクリアできないか、と常に考えている。