季節はずれのセミが、衣擦れの音を微かに立てながら去って行く夏の残滓に鳴いていた。
お前の仲間は、もうどこにも居ない。
いくら鳴こうが、もう誰も現れない。
それでも彼は、渾身の力で鳴いた。
その鳴き声は、セミらしいせわしない鳴き声に珍しく、非常にゆったりとしたものだった。
生まれ出で、仲間を求めて飛び回るうち、この世に残されたセミは自分ただ一匹だったことを悟っただろう。だからこそ、ゆったりとしたリズムには諦観と共に、受精のみに躍起になっていた盛夏のセミたちとは明らかに違う音魂がある様に感じた。
生きている、今ここに生きているのだ、という主張である。
せめて鳴こう、歌おう、生きている証として、自分のために歌おう、そんなふうに聴こえて仕方なかった。
どこからともなく流れてくる稀有な鳴き声に、俺は清々しいものを感じた。
例え絶望的な境遇であろうと気高くある姿勢は清々しく、人をしてかくあろうと思わせる説得力に満ちていた。
もう朝晩は冬の到来を予感させる寒さ。あのセミがどれだけ生きていられるかは分からないが、オーディエンスは万感の思いで、かの鳴き声を傾聴している。
心に一輪の花を咲かせる。