中学三年生の冬、俺は蕨駅東口の線路脇の道路で変なドちんぴらに絡まれ、有り金をカツ上げされて凹んでいた。でも、もしそんな事件に遭遇していなかったら、後生、有籐書店を知らなかったかも知れない。



何故絡まれたのかは分からなかった。ただ、そこらに居る弱そうな奴を見つけて遊ぶ金を巻き上げてやろう、という感じではなく、言わば売られた喧嘩の落とし前をつけてやる!みたいなニュアンスで彼は金を要求した。彼にはとても大切な事の様で、烈火の如く怒鳴り散らし俺の非を責め(と言っても、何が非なのか理解出来ないのだが)周囲の目を気にする様子は全く無かった。
やむを得ず財布の中から1000円札を抜き取って恐る恐る差し出すと、彼はそれをふんだくって俺の顔に唾を吐き、きびすを返すと振り返る事も無く足早に去っていった。
コートの袖で顔を拭いながら周囲を見渡せば、皆が俺から顔をそむけている様に感じた。まるでイタリア映画の主人公の様な孤独だ。ショック状態の俺は誰かの柔らかい感覚が欲しくて、冷たいアスファルトの上で周囲を見渡したが、行き交う人々の視線は、俺の救いを求める瞳とは交差しなかった。



喪失感に打ちひしがれたまま少し歩くと「有藤書店」という古本屋があった。そこに行けば落ち着けるかも知れない、と、三冊100円の文庫本が堆く積まれた入り口の引き戸に手を掛けた。冬の暗い闇とは対照的な、蛍光灯の緑の光線に満たされた店内に進むと、奥のレジの前には大黒さんみたいに温和な顔をしたおばさんが、古い文庫本を読みながら座っていた。
「いらっしゃい・・・どうしたの?」
俺の表情を読み取ったおばさんは、温和な顔を曇らせて俺を覗き込んだ。
「さっき・・・そこでヤクザみたいな人に絡まれちゃって・・」
「あなた鼻血が出てるわよ?」
言われるまで気が付かなかった。殴られたのか?でも覚えていない。
おばさんは立ち上がり「今、ティッシュ持ってくるから待ってて」と、店の奥に引っ込んだ。



ティッシュで顔を拭いて分かった。鼻血を出していた訳ではなく、顔に吐きかけられた唾に血が混じっていて、それが鼻血に見えたのだ。
「それじゃあ、あなたは誰かと間違えられたのかも知れないね」
おばさんはあったかいお茶と饅頭を出してくれた。
「1000円のお茶だと思って飲めば、元を取ったと思えるんじゃないかしら?」と冗談を言いながら笑うおばさんは、見ず知らずの俺にとても親切で暖かかった。
「そうだ、こんな気分の時にはコレを読むといいわよ。もし時間があるなら、お茶飲みながら読んでいきなさいよ」
サン・テグジュぺリの「星の王子様」だった。
俺はおばさんと肩を並べて本を読み、その世界に浸った。



それから高校生になり、浪人生になり、チームの看板を背負って街を徘徊する様になるまで、俺は有籐書店に通い続けた。
小さな古本屋で、有籐さんご夫妻が経営する正統派の古本屋だった。
俺はそこでいろんな偉人の思想に触れたし、いろんな物語と出逢った。
いわば俺の先生である。
有籐のご主人は理系の大学を出て研究職に進み、とあるきっかけで挿絵画家になった方だった。
教科書でお馴染みの「アリの子ツク」の挿絵を描いた有藤寛一郎さんである。
寛一郎さんは数多くの図鑑の挿絵を手掛け、大変な勉強家で、俺は随分と影響を受けた。
大人になってからは、書店内で一緒に酒を飲んだりした。
生まれて初めてインテリと言われる人と触れ合ったのが有籐書店だった。
その有籐書店が無い。
随分ご無沙汰にしていたのがいけなかった。
久しぶりに前を通りかかると、既に有籐書店は無くなっていたのだ。
この話をお読みいただいた方の中に、有籐書店がどうなったのか、有籐さんご夫妻がどちらに行かれたのか、知っている方がいらっしゃったら是非、お教え願いたい。
このままお話しするチャンスが無くなってしまうのは有籐さんに申し訳ないし、まず俺が淋しいじゃないか。
有籐さんのおばさんに「こんな気分の時にはコレを読むといいわよ」と薦められてから、プレゼントの機会には「星の王子様」を贈る事にしている。