「奇跡なんて起きないわ」
この夏何日目かの熱帯夜、俺たちは飲み物と、ちょっとしたスナックを買うために街に出た。
欅並木のメインストリートには、数軒の店を残して灯りが落ちており、深夜営業のスーパーなどから洩れる光線が、まったりと蒸し暑い夜にまだら模様の闇を醸し出していた。
じっとりと汗ばむ夜だったが、俺も彼女も付き合いはじめの頃と変わらず手をつないだ。お互いに偏りなくバランス良くつないだ手は汗でじっとりと湿っていた。だからと言って手を離す事は無いのだ。並んで歩く際に手をつなぐ習慣は、既に10年も続く俺たちのスタンダードだった。
「ねえ、このヌルヌルするのって私の汗?」
「いや、きっと俺の汗だよ。男の方が体温が高いだろ」
あなたと手をつないでいると、私も体の中からジンジンと熱くなるよーー暗闇で彼女がどこを見ているのか良くわからなかった。俺を見ながら言ったのだろうか、それとも、彼女の網膜は、この熱帯夜の醸し出す濃厚な闇と光を映しているだろうか。
渦を巻く様な、特濃のマーブル模様。
意見の相違があり、険悪な雰囲気になった。誰しもがそうだろうが、お互いがお互いのためのクールダウンが必要だった。それは俺たちにしたって同様である。俺は自室に向かい、コレクションしている宝石たちを見たかった。とりわけ、彼女と出会った頃俺のもとにやって来た神聖なるルビーと対峙したかった。
コレクションボックスから聖なるルビーを取出し、仰向けに横になると、ルビーを額に置いて静かに目を閉じる。そうやって心の平安を求めるのが好きなのだ。
「また奇跡?その石は一体いつになったら奇跡を起こしてくれるのかしらね」
どれくらい眠っていたのか分からない。彼女はシャワーを浴びて濡れた髪を拭きながら俺を覗き込んでいた。
「・・・いつから見ていた?」
「ビールが無いんだけど、どうする?」
24時間営業のスーパーで買い物を済ませると、もと来た道を帰った。
手はつないでいた。
闇を見ながら、歴史上の奇跡の数々を思い起こしてみた。だが、そのいずれもあまり幸せそうに感じられないのは、それが自分の奇跡ではないからだろう。
なんだか遠くの遺物としか捉えられない。
彼女が「流れ星見えないかなあ」とひとりごちた。
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