雨が降っている。
雨は厄介がられる代表的な現象ではあるけれども、どちらかと言うと僕は雨が好きな方だ。
季節との兼合いにも拠るかもしれないが、濡れる事はそう悪い事の様な気がしないし、例えば梅雨時にカビが生えて嫌な思いをする、なんて話も聞くけれども、少なくとも僕にはそう言う経験が無い。
梅雨時にカビが生えないだって?と訝しがる人も居るかもしれないが、実際、梅雨時に背広やバッグにカビが生えて台無しにした、などの経験が無いのだ。これは何かカビを寄せ付けない原因が僕の周りにあったからかも知れない。それは何かと尋ねられても困るが、例えば一週間ずっと雨が降る様な事があっても、カビの被害に遭うなんて事は無いのだ。
ある友人などは、まあ、その友人とは女性なのだが、人一倍綺麗好きで毎日2回も掃除するくらいの、ある意味潔癖症とも言えるほどの清潔好きなのだが、それほど掃除しても矢張りカビの被害にあったと言っていた。
ブーツはダメになり、バッグはダメになり、服も台無しにした。
僕はその話を聞いて、カビの生える環境に居る人とそうじゃない人が居るのだな、と思った。僕はそれほどの潔癖症ではないので、掃除だって一週間のうち二回か三回やればいい方だし、クツの手入れなどをマメにするほうでもない。でも彼女みたいな目には一度たりとて遭わなかったのだから、それはやはり不思議である。
虫歯の出来やすい人とそうじゃない人の差みたいに、そこに何らかの原因があるのだろうが、それを追求するのは僕じゃなくて科学者だ。僕は単純に「自分は雨を愛しているから、雨も僕を愛してくれている。だから雨降りの嫌な思いを遠ざけてくれるんだ」と勝手に思う事にしている。そう思っている事が自然だと思うし、誰かに説明を求められても、大抵はそれを語れば済むことだ。
雨が降ると太陽を拝めない不便もあるが、たまに梅雨の晴れ間があったりすると、太陽のありがたみを実感できる様な気がするじゃないか。物事には陰陽がある。そのどちらかだけという事は無い。陰陽のバランスで世の中は色んなものに存在理由を与える。明けぬ夜は無いし、止まない雨は無い。
雨が降ると、僕はいつでも雨の降る様を見入ってしまう。雨の降る様子は多様だが、どんな雨でも美しいと思う。出来れば街中ではなく、木々の生い茂る山はだをバックに、高い空から舞い降りる大スケールのパノラマで雨と対峙したい。
そんなふうに雨を見ていると、雨にまつわる色んな話を思い出す。


バリ島は一年のうち、雨季と乾季に別れる。日本人観光客は雨を嫌って乾季に旅する人が多い。
乾季とは、四季に照らし合わせると「冬」に相当する。風は乾燥し、日中の気温も低めになる。常夏の島でも、クーラーが要らない快適さだ。夜は長袖がないと寒く感じられる位だ。
寒い季節の長い日本に住む人には、そのくらいの方が居心地が良いのかも知れない。現にバリ島を旅する人は、圧倒的に乾季を選んで出発する人が多いと聞く。
何度か乾季のバリ島を旅した事があったが、僕にはチョッと物足りない。いや、むしろ寂しいくらいだ。
足りなかったのは雨だ。バリ島は熱帯の島、熱帯には雨が似合う。雨の無い熱帯など不感症の女みたいで張り合いが無い。どうせなら全てを濡らす勢いで雨に降ってもらいたいと思う。
以上の話からお分かりの様に、当然僕は雨季のバリ島が大好きだ。熱帯の雨は凶暴で、経験した人には分かるかも知れないが、これは本当に雨粒なのか?雹ではないか?と思わせるほどの力強さを感じさせる雨である。
熱帯名物のスコール。10分から30分くらいのスパンで、まさしく「バケツを引っくり返したような」勢いで降ってくる。「降ってくる」なんてもんじゃない、それはもはや雨などではなく、滝の様に「水が落ちてくる」感覚。
以前こんな事があった。
場所はバリ島中部のUBUDと呼ばれる地域から少し北に上がったジャングルに囲まれた山道。バリ島の友人コミンの車に乗って高原へ行った帰りの出来事だった。
にわかに雲行きが怪しくなり、そのうち大粒の雨がぽつりぽつりと落ちてきた。
当時のコミンの車はフォルクスワーゲンType-181、俗に「サファリ」と呼ばれるオープンカーだった。風が気持ち良いので、我々はオープンの状態で走行していたのだが、特に山地での雨の凄さを知っている我々は大粒の雨に大慌てで幌をかぶせ、座席が濡れるのを防ごうとした。
しかし間に合わなかった。幌をかけるまでは良かったが、ドアを外していたのだ。雹の様な強力な雨は、ドアの無い車の側面から否応なく入り込んできた。
それでも無いよりはマシとばかりに、二人してずぶ濡れになりながらドアをつけた。
ようやくドアまでつけ終えて車の中に逃げ込んだのだが、もはや我々の着衣に濡れていないところは無くなっていた。
ワイパーを動かし、先に進もうとしたのだが、ワイパーを最速にしても全く前が見えない。このまま走行したのでは事故につながると判断し、我々は雨をやり過ごそうと路肩に車を止めた。
すると、さっきまで道だったところが見る見る川になり、その水かさは増して今にも車を押し流しそうだった。
押し流されはしなかったけれど、車は完全に「床上浸水」した。じょーじょー言いながら隙間だらけのドアから水が浸入してきた。
こんな事なら慌てて幌を張る必要なんて無かったな、僕たちは顔を見合わせて大笑いした。
雨は20分しないうちに蛇口のせんをひねった様にぴたりと止んだ。熱帯のスコールは、蛇口をひねった様に、とよく言われるが、その例えは素晴らしいと思う。全くそのとおりだ。蛇口をひねった様に降り出し、蛇口をひねった様に止む。
するとどうだろう。
太陽が出たと思いきや、スコールで冷やされた全てのものが熱帯の太陽に焼かれ、その温度差によりジャングルから冬場の草津の湯畑さながらの凄い湯気が一気に発生したのだ。
「すごい!」思わず声に出したが、コミンは「スコールの後のジャングルは大体こんな感じだよ」とさして珍しくもないといった風だった。
僕はそんな光景を今まで見たことが無かったものだから、そのスケールの大きさにただただ圧倒されつづけた。
道路を川に仕立て上げた大量の水は一気に引き、我々は車を出した。少し走ると雨季の熱気が我々を一気に乾かし、宿に帰る頃にはすっかり乾いていた。


晴れが男性的な印象を受ける様に、雨はどことなく女性的だ。
晴れとは、実際砂漠の様な地域では最大の暴力である。太陽が全ての命を干乾びさせる。そんな砂漠に極稀に振る雨は、命の希望だ。雨があるからこそ太陽の恩恵に預かれるのであって、砂漠に命のオアシスを作る事になる。
何かが突出していては、いずれ滅びの道を行く。古代の人は自然の中に神を見出した。この緻密なバランスを思えば、いにしえの人たちのイマジネーションを笑って過ごす事も出来まい。
雨は嫌われるが、そんな雨があるからこそ保たれるものはたくさんある。雨は「神様からのプレゼント」なのだ。




雨の日はちょっと普段とは違うエネルギーが渦巻いている。
僕の旧友に、雨の日になると女の子を連れて博物館に行く事を好む男が居た。
彼はある雨の日、彼女とデートをした。デートは以前から予定に組まれていたのだが、当日が雨だったので当初予定していたデートコースをトレースする事が難しくなった。
やむを得ず、雨でも楽しめるスポットをにわかに探したのだ。
彼らは博物館に行く事にした。雨に濡れないと言う理由以外に博物館を選んだ理由は無かった。ただ、普段博物館になど出向かない二人だったので、たまには行かないところに行ってみよう、と言う単純な動機だった。
平日と雨の日がバッティングして、博物館の内部には客が誰も居なかった。二人は順路に従って様々なものを見て歩いた。
博物館と言うところは世界中の様々な遺物が所狭しと並んでいる。それはある意味、山賊海賊共の宝の隠し場所にも似た特殊な空間だ。
歩いているうちに、この博物館がとても広いと言う事に気が付いた。だだっ広い空間に客は二人だけ。館内には二人の足音だけが響いた。二人は歩き疲れ、古代の遺物に囲まれた広い部屋の中央に置かれたベンチで休む事にした。
取り立てて話すことも無く、彼らはベンチに座った。ただ、遺物たちの放つ特殊な気で館内が満たされ、二人はその雰囲気に酔っていた。
無言の数分を過ごし、それからいつもの様に二人はキスをした。そのとき旧友は、言い得ぬ感覚を味わった。
「神聖なものを犯している様な感覚」だそうだ。遺物に囲まれてのキスは、今まで味わった事の無い征服感を感じたのだ。
それは多分、彼女の方も同様の感想を抱いたに違いなかった。
だからこそ二人は広い博物館の真ん中でセックスをした。ミイラや干し首や王の棺を守る武具や古代の偶像に囲まれてセックスをした。
二人が経験したどんなセックスよりもそれは気持ち良かったのだと言う。
その話を聞いて、僕は「博物館でのセックス」に凄く興味を持った。普通、博物館でセックスをする人間は居ない。ただ、雨の日の入館者が少なく、また平日であることを考えると、こっそりやろうと思えば出来そうな気がしないでもない。
ここで一つ注意して欲しいのは、旧友もその時の女の子も決して異常性欲者ではないと言う事だ。言い得ぬ感覚にとらわれて、例えるなら「神がかり」な状態になってしまったのである。
旧友が博物館でのセックスを決行したのが「雨の日」だったと言うところが興味深い。もちろん来館者が少ない雨の日を選ぶのは至極当然の事だと思う。でもそれ以上に彼を博物館セックスに導いたのは「雨そのもの」の影響ではなかっただろうか。
雨の日とは「低気圧」の影響下にあると云うことである。それは飛行機に乗っている時のあのハイな状況下にあるのに近い。台風ともなると、高度10000メートルの機内に居るのと同じ影響を受ける事になる。
昔から飛行機でのセックスは素晴らしくハイになれると言われてきた。残念ながら僕はまだ飛行機内でのセックスを経験していないから自らの体験をコメントする事は出来ないが、例えばイギリスには飛行機内でセックスをした経験者だけが入会を許されるクラブがあると聞く。それほど低気圧下での感覚の変化は著しいものがあるのだ。
陰と陽、古代の遺物、男と女、それらがミックスされた状況を思い描くと、人間のプリミティブな感受性がもたらす衝動があったとしてもおかしくない。それが雨によって操られた事件だったと思うと、非常にミステリアスな偶然であると思う。
神によって画策されたイタズラだ。


僕が雨を好きな様に、雨も僕を好いていてくれているらしい。
僕が車を洗うと決まって雨が降る。
旅行に出掛ければ必ず雨が降る。
以前、オートバイで北海道を回る旅に出た事があったのだが、二週間ほぼ毎日が雨だった。
雨によってオートバイの電装部品はリークし、何度もエンジンが掛からない事態に遭遇した。
ガイドブックでは絶景を謳った観光地でも、降り続く雨のおかげで何も見えなかった。
その旅は仲間数人と回ったのだが、仕事の都合もあり、僕は旅半ばにして一人で帰らなければならなかった。
それから、仲間達の旅の続きは連日の好天に恵まれたという。
僕はというと、帰りの道中もずっと雨に見舞われた。
でもいいんだ。ほんの一瞬だったけど、大草原にかかる虹を見せてくれた。地平線の端から端にかかる巨大な虹を僕に見せてくれた。